シベリア鉄道・欧州遠征6 ヘルシンキ-1

一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。と言いますが、いつの間に3月に入っています。来月、新たな学期が始まり、4か月通学したら試験、8月に旅行に行って、秋の航空祭シーズンを終えたら再び冬がやってきます。怖いですねえ。

今年の8月もほぼ1ヶ月、海外遠征に出ます。現時点で手配できるものは一通り手配済み、行くまでに列車の手配を済ましたり(これが手間)撮影地を探せば良いだけですが、あっという間ですよね。

そういう訳ですから、昨年の欧州遠征の記事はそろそろ完結に導きたいところです。今回は遠征18日目、19日目に訪問したフィンランドの首都、ヘルシンキになります。まだまだ先は長い。

サンクトペテルブルとヘルシンキは国際特急列車「アレグロ号」でおよそ3時間半の旅です。

乗車するのは6時40分にフィンリャンツキー駅を出発する始発の列車。前日は早めに就寝した訳ですが、当日のTwitterを振り返ると…

何が無事に起床事故だ、って感じがしますが、間に合ったので結果オーライ。

アレグロ号は乗車しつつロシア側の出国手続きと、フィンランド側の入国審査という流れになります。以前、広州に住んでいた頃に幾度か広九直通列車に乗りましたが、あれは乗る前にパスポートコントロールがあって、下車時に入国というスタイルでしたから、 列車に乗りながら越境はこれが初めてです。

ロシア側係員が我々の”Владивосток “入国印に驚いているのをニンマリしつつ、フィンランド入国に際してはシェンゲン協定圏に入ることになるのでフィンランド以降の行程について詳しく質問されます。

入国審査って国を問わず基本的に適当にやってるイメージしかないのですが、真面目に質問されて驚きました。 陸路だからですかね。入国審査官の英語は明瞭で、自分も英語には困らないので何ともないですが、英語無理な方は大変ですよね。

国境を越える特急列車は定刻でヘルシンキ中央駅に到着。

ちなみに列車はカレリアントレインズSm6と言いますが、実はベースとなった車両はアルストム製ETR600。

似ても似つかない顔してますが、中国国鉄のCRH5と同系系統。

写真はCRH5(A)ですが、CRH5Eや特にに5GはSm6に近い台形状のお顔になので、そういう構造なんだろうなあって感じがします。

欧州らしい頭端式ホームのヘルシンキ中央駅。

乗ってきた列車の左右に止まってるのは(国産の?)Class Edo制御客車というもの。日本では全く馴染みのない制御客車という種類に初対面です。客車列車の先頭に立つ機関車が編成を牽引するのは日本でも同様ですが、終点で進行方向を変える際に機回しするのではなくてこの制御客車が先頭で機関車は後ろから推進運転する訳です。

ヘルシンキではHotel Arthurに宿泊。写真は近くの街並みでホテルは写っていません。

モスクワでは安宿で共有シャワーしか無かったし、サンクトペテルブルクの部屋は超狭い。感動的に普通のホテルでした。ホテルがことごとく微妙だったのを反省して、今年の旅行は多少マトモなホテルに泊まろうと心掛けて選んでいます…

ホテルに荷物を預けていざヘルシンキの街へ。ヘルシンキはフィンランド最大の都市であり首都ですが、地図を見ると一目瞭然で、大して大きな街ではありません。駅近くのホテルから15分くらい歩くとすぐにヘルシンキ港です。

港には市場が開催されていて雑然としているのですが、奥の方に軍艦のマストが見えて、ちょうど日曜日でしたから、ひょっとして一般公開とかやってないかなあと見える位置まで近づいてみると、どうも見覚えのある灰色なんですよ。しかも見間違えようもない”日の丸”が艦首に掲揚されてる訳です。

海上自衛隊の練習艦、TV-3508「かしま」。平成30年度遠洋練習航海として僚艦の護衛艦「まきなみ」と共に7か国目に寄港していたのでした。

海上自衛隊の一般公開イベントは機会があれば行っていますが、これまで「かしま」の一般公開に参加する機会はなく、近くでお目にかかるのはこれが初めて。それが日本から8000キロ近く離れた異国の地になろうとは、驚きました。実のところ、軽く安堵すら覚えた気がします。なんとなく嬉しいし、心強いです。

異国の地で思わぬ出会いを果たした後、喜ばしいことに青空が見えてきました。

グーグルマップにも登録されていますが、500年近い歴史を誇り、 「マーケット広場」と呼ばれている市場です。手作りの小物や青果物、海産物なんかも売られていて、観光だけでなく恐らく一般市民も使っているんだろうなあと思います。

特に工芸品には興味がないですし、フルーツなんかはロシア比で高いですね。一通り見て回って満足しました。市場の雰囲気は素敵ですが、買わないので写真をパシャパシャ撮るのもどうかと思いましたし、そもそも興味が薄いので市場の写真がこの一枚くらいしかないです。勿体ない

昼食は市場の屋台で頂きました。フィンランドでは白身の小魚のフライが有名料理だそうですが、それはここでは知らなかったので、ベンチが空いていた屋台で白身魚のフライをチョイス。

12ユーロだか15ユーロだったと思います。比較するものが無いのでサイズ感が分からないですが、かなり大きいので北欧物価的にはちょうどいいのかなあ。近くに居たカップルは二人で一皿を分けていたし、それくらいの量です。魚とジャガイモだとサイドメニューにパスタの入ったスープでも欲しくなりますが、無いです。

屋台で働いているのは数名とも若い女性でしたが、自分が注文しようと立つと、驚くほど流暢な英語で話されて感激しました。フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語で、英語は公用語ではありませんが、ウィキペディアによるとスウェーデン語より英語教育に力を入れているらしい。2泊と短い滞在でしたが、基本的に観光客が来るようなところで働いている比較的若い方は英語で一切の不便を感じず、とても快適。

唯一、フィンランド語を話されたのは、ヘルシンキから離れて鉄道博物館に行った際、地元スーパーのレジ係でしょうか。当然ながら一言も理解できませでしたが

昼食後はフェリーでスオメンリンナの要塞へ向かいます。中央の行先は、フィンランド語がスオメンリンナでスウェーデン語がスヴェアボリ。

乗船券の券売機の使い方が微妙に分からなくて、窓口で買ったのか、どうにか券売機を使ったのか忘れましたが、発券後は欧州でよくある、自分で打刻してから乗船(乗車)スタイル。打刻必須だからと回転ゲートがある訳でもなく、通路脇に機械がぽつんとあるだけなので要注意。

島へのフェリーは片道15分程。

切符を買う際に、近くに同じように若干戸惑っていた日本人男性の2人組を見かけていまして、同じ便に乗る様です。港に自衛隊の船が泊っていればそういう事なので、折角なので話しかけてみることにしました。

このブログで過去に書いたことがあるか忘れましたが、管理人は防衛大学校に進学しようと思っていた時期がありました。一次試験を受けて、二次試験で落ちた訳ですが。防衛大学校の先は江田島に行きたいと考えていました。

偶然にも話しかけた2人は防衛大学校出身ではなく、一般大から江田島に行った方々でした。 未練がましいのでしょうが、今でも大学卒業後の進路に(海上)自衛隊が頭に浮かんでは消えていくことがあります。 詳しいことを書くと怒られそうですが、自衛隊が気になるなら行ってみるのは手だと思う、という旨の話は当分は忘れそうにもありません。

ちなみに、「かしま」は前日の土曜日に一般公開を行ったそうです。日系人の多い国なら兎も角、フィンランドで自衛隊の一般公開に行くのは面白そうなのでやってみたかったです。

短い船旅ののち、スオメンリンナ要塞に到着しました。

スオメンリンナ要塞とは何であるか、「島全体が東京ディズニーシー」という表現はかなり正解じゃないかと、後ほど合流した同行者ともそういう話をしました。

石積みの要塞がある風景。要塞であって石垣だとか城壁ではないので、何か建物があるわけでは無いですね。

要塞そのものにはあまり興味はありませんが、見たいものが2つありました。ひとつ目が、潜水艦「ヴェシッコ」。1933年に進水したフィンランド海軍の潜水艦。

ウラジオストクで潜水艦S-56博物館に入りましたが、S型潜水艦の原型はドイツ国内で第一次大戦の潜水艦がベースに設計されていて、建造期間は1934年からです。この「ヴェシッコ」 は1933年に進水した潜水艦ですが、のちにドイツ海軍UボートII型のベースになっています。

ドイツ繋がり!凄い偶然!と思いましたが、大戦期の現代に通ずる戦車のベースはルノーFT-17に始まったともとらえることができますし、第一次大戦で潜水艦を存分に運用したドイツの知識を欲するのは当然かもしれません。

ところで、全長78m近いS級潜水艦に対して41mの 「ヴェシッコ」 はとても狭かったです。
乗員16名らしいですが、そんなにベッドある様には見えなかったなあ…

北欧らしい光景からイメージするものとは少し異なる気もしますが、牧歌的な風景も一応あります。


スオメンリンナ要塞では先に紹介した潜水艦と、もう一つ見たいものがありました。 気に入っているアニメシリーズのエンディングのシーンで使われていて、スオメンリンナ要塞に大戦時の対空砲が保存されているらしいという曖昧な情報のままの訪問でした。島内の博物館に対空砲が展示されているのは分かりましたが、それではありません。歩道脇のベンチで衛星写真と睨めっこです。

事前に調べて行けば良かったんでしょうが、どうせ島内の地図に載ってるだろーと思ってたんですよね(~_~;)これが載ってない。現地で調べて、どうも写真の背景には港とヘルシンキ大聖堂が見える、じゃあ北側かと無事辿り着きました。

“Helsinki Air Defense Memorial from 1939-40”

ヘルシンキの空を見上げる対空砲、素晴らしい。

対空砲は76 ItK/27 BK, Bofors。8基のみ購入されたものらしいので何気にレヤ貴重!です。

スオメンリンナ要塞はフェリーの到着するIso Mustasaari島、造船所のある
Susisaari 島 がメインの観光スポットを構成しています。要塞の北端にある要塞で一番小さいPikku-Musta 島 は(恐らく)現役の軍施設として立ち入り禁止になっていますが、立ち入り禁止でない歩道を通って西側にあるLänsi-Musta島に渡ると、未整備のコンクリート構造物と共に記念碑が置かれています。

本島の目玉であるロシア製大砲の周りには観光客が多くてげんなりしましたが、ここまで来れば辺境の地といった具合でお勧めです。


時刻は16時。スオメンリンナ要塞は一通り楽しめたので(と言っても島内の戦争博物館は行ってないですが…)フェリーで市街地へ戻ります。

練習艦隊の随伴艦「まきなみ」。「かしま」の2人に洋上生活は船酔いとか大変では無いですかと訊いたら「かしま」は一応対策されてるからマシだけど随伴艦は大変だと思うと言っていました。(でも双方にフィンスタビライザーは装備されているし、全長も全幅もあまり変わらないんですよね…「かしま」や、たかなみ型護衛艦の一般公開に行く機会があれば乗員に聞いてみたいですね)

「まきなみ」 は「かしま」の近くではなく、市街地から離れた位置に係留されていたので上陸時間は制限されていますから、「まきなみ」 の乗員はかわいそうだと言っていました。考えたことも無かったですが、折角の上陸時間を移動で費やすのは嫌ですねえ。

ヴァイキングラインのフェリー。こんな名前ですが、フィンランドの会社だそうです。

ネットでちらっと読んだ程度で特に調べていないですが、ヴァイキングラインのクルーズは意外と手が出せそうな価格らしい。そもそも、 ヴァイキングラインのクルーズ に限らず、時期や期間次第というところはあるにせよクルーズの旅は割と手の届くところにある感じがします。以前(ネットで)見かけたのは日本発着の往復の航空券込みで地中海1週間50万。自分は今回の旅で4週間総額50万掛かってないと思いますが、それでも割と現実的な値段な気もします。

そして市街地の一番近くに係留されている我ら海上自衛隊「かしま」

いやあ、海側から順光で撮れる機会ってなかなか無いですよね。素晴らしい。

再び市街地へ戻ってきました。奥のテント屋根が市場、手前の線路は現役のトラムです。この通りの晴天なのでトラム撮り鉄したかったですが、かなり本数は少ないので断念。

写真を振り返ると、どうせ時間はあったのだから街の雰囲気をもっとカメラに収めておけば良かったなと凄く後悔しています。ただ、時間はあっても体力がなかったのは事実です。10キロ近いリュックは堪えます…仕方ないのかなあ。

左にちらっと見えている青い建物が市役所、三角屋根を挟んで四角いオレンジの建物がスウェーデン大使館らしい。

空は青く澄み渡り、街のシンボル的ヘルシンキ大聖堂も眩い輝き、といった感じでした。疲れていて階段を上る気は起きませんでしたので、下から。

日本とフィンランドの国交100周年を記念して、2019年のさっぽろ雪まつりにはヘルシンキ大聖堂の雪像が造られていましたね。


その後、適当に市内の公園で時間を潰したり、邪魔になった荷物(シベリア鉄道で使った紙の辞書や文庫本、モスクワで買ったマトリョーシカ)を先にEMSで送りたかったので梱包資材を用意。暫くして同行者と合流して、駅の近くにあったネパール料理屋でカレーを食べてホテルへ帰還という具合でした。

といった感じで、ヘルシンキ1日目でした。もう少し街の「空気」が分かる写真を色々撮れるようになりたいです。今振り返ると、まずカメラを手にしていない理由が疲れて面倒だから、疲れているのはカメラバッグが重いから。そこからです…今年の遠征にどうにか、活かしたいところです。

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