中国東北部遠征 その2-哈爾浜

こんばんは

前回のエントリーからかなりの間が空いてしまいました。

パソコンの修理は今は返却待ちです。ゴールデンウィーク明けにでも返ってくると良いのですが…今回は修理に何日掛かるのかと心配になります。

ともかく、中国東北部遠征その2、ハルビン2日目です。2日目は、午前中にハルビンの市内に残る歴史建築を見て回り、午後から731部隊址への訪問が予定です。

今回の朝食はホテルで食べていきます。夏の旅行では朝食抜きで辛い思いをしましたから、有り難いものです。

朝食会場は龍門酒店と共用です。てっきり、旧ヤマトホテルの大食堂を使うものと思っていましたが、昨年の秋に訪問された方のツイートを見直すと、こちらで食べておられました。管理人の勘違いですね。

しかし食事が全体的に白いです(^_^;)朝から脂っこいもの食べたくないし、卵料理もNGなんで仕方ないですが…でも脂っこいといっても北方の味付けだとそこまで脂っこくはならないのかもしれません…(基本的に、朝は小食です…)

一応腹も満たしたところで歴史建築を見に散策に出ます。チェックアウトは昼過ぎでしたので、取り敢えずそのままです。

では、出発です。

ハルビン医大第四医院院部 中东铁路中央电话局旧址 竣工1907年 南岗区银行街31号

黒竜江省郵電管理局?黑龙江邮政博物馆? 吉黑邮务管理局旧址 竣工1922年 南岗区民益街100号

哈爾浜医学専門学校遺址

今は人民政府の建物。後から気づいてやば…って感じでしたね。

駐哈爾濱英国領事館旧址

第二次世界大戦で中国と共に戦って亡くなったソ連兵の記念碑です。

この左手に日本人により設計されたハルビン国際ホテルがあるのですが、朝の時点では逆光です。午後にもう一度来ているので、後で載せます。

一旦ホテルの方向に戻ります。

写真は建設中のハルビン駅南口。

霁虹橋を通り国鉄の線路を渡ります。

写真を撮り忘れて悔しいというか我ながら呆れるのですが、昨晩バスで渡れたはずのこの橋は唐突に封鎖されていました(徒歩は可)。

ソースはWikipediaという程度なのですが、曰く2009年に霁虹橋は危険だと指摘され、復元を試みるも交通への影響が過大なため延期ということです。その後復元された様子ではないですから、おそらくは1926年当時の中東鉄路の親柱や紋章などを見れたという訳なんじゃないかなと思います。

この橋を渡りすぐ左手がハルビン駅で、ハルビン駅の再開発に伴った整備なのかと現地では思いましたが、補強工事や復元を兼ねた橋そのものへの工事のようです。のようですというか、実際に完成イメージが防音壁に貼られてました。撮ってないですが。

哈爾濱の哈爾濱駅大改修:中国の風景

4travel.jpにあるこちらの投稿の中ほどに完成図が載っていました。道幅拡張についてはよく見ていないのでなんとも言えません。現地では、霁虹橋を取り込みつつその前後を整備するのかな程度としか捉えていませんでしたが…

黒龍江日報社 旧ハルビン弘報会館 竣工1936年

工事を受ける霁虹橋を降りたところに加えて、壁で覆われています。取り壊しなどではないと良いのですが…

近くまで来たので一旦、ハルビン駅に寄り道。

事前に予約済みの切符を発券。

発券番号とパスポートを渡せばものの1分程度で発券されてくる中国のシステム、これは本当に便利だからJR採用してくれと。発券までに係員との会話。「你好」(メモ紙を出す)「谢谢」。便利なことこの上ない。

駅から昨晩も訪れた中央大街方面へ。

満州中央銀行哈爾浜支店 竣工1935年 道里区田地街115号

旧ハルビン一等郵便局

夜はかなり落ち着いた雰囲気の場所だなと思いましたが、金ピカで派手でした。派手といっても、当然なんですがよくあるネオンが光ってるとかいう中国的な派手さではなくて、節度がある…というのもまた違うのですが、まあ、見ていて不快でない程度の。

通りの奥まで歩くことにします。

別に、急いでいるわけでもなんでもなかったのですが、妙に写真が少ない。ひとつの建物を一枚撮ってそれだけとかいうのが多くて、改めて写真をみるともっと撮っても良かったんじゃないかなと物凄く悔やんでいます。

保存対象の建物にはプレートが付いているのですから、それくらい撮っても良かったんじゃないのと思う訳なんですが。いや、今更言っても仕方ないんです。ハルビンならまた行けばいいですから…

ともかく、今回はいくつか、名称が一致したものを取り上げておきます。旧ハルビン一等郵便局のある中央大街入り口側から、川沿いの奥手順に並べています。

旧ハルビン市公署

旧ハルビン一等郵便局

旧アグロフ洋行

ハルビン撮影社(旧カフェミニアチュール)

旧ユダヤ国民銀行

松浦洋行 竣工1909年 道里区中央大街120号

ハルビン最大のバロック建築。

旧ラヴィノヴィキ大楼、旧遠東銀行

道里秋林(チューリン)洋行

旧万国洋行

このケンタッキーの右横にちらっと見えているのがネットで見ていこうと思った方の露西亚西餐厅で、こちらに日本語が話せるだかのロシア人末裔がいるというお話。

中央大街の北端が防洪記念塔です。1957年の大洪水の克服(と1998年の洪水水位?)を記念したものです。

1957年の洪水では一ヶ月に及ぶ堤防修理の結果「洪水决战的最后胜利」と百度百科に書かれていました。

川岸の緑地はスターリン公園と名付けられています。

元々は1912年に作られた中東鉄路のヨットクラブの敷地で、53年に江畔公園へ。恐らくはロシア(ロシア帝国)から買い取ったこと、ハルビンはロシア料理が有名だからこの名前になったのだと思いますが、今でもスターリンの名を冠した場所は珍しいかなと思います。

西向きに川沿いを進みます。

ハルビン市街の北を流れる松花江です。3月中旬で凍結していますが、さすがに薄くなり始めているのは氷上への立ち入りは禁止。

対岸に見えているのが太陽島。太陽島へ渡るロープウェイ「松花江索道」が見えています。真ん中よりの白い構造物はロープウェイの構造物ではないです…

右手に見えるのは鉄道橋ですが奥の立派なアーチ橋が現役のもの。手前のトラス橋は1903年の当時物で、歩いて渡れます。

歩いて渡れると知ったのはこのエントリーを書いている途中ですので、橋まで歩いて行ってみればよかったなと。

江畔餐庁

日本人により設計され、1937年に完成した松花江駅駅舎です。今は餐庁の通り、食事処となっています。2017年4月に改修工事を受けたばかり。

しかし、先ほどの鉄道橋を直進すればハルビン駅に進入できますし、路面電車の駅(ハルビン市電はある程度の規模でしたが、路線図が見当たりません)だろうかと思ったのですが、どうも川沿いには満鉄の保養施設(恐らくは中東鉄路のヨットクラブ建屋?)があったようで、ここら辺まで引き込み線があった可能性は無きにしも非ず?です。

元来た道を戻り、公園を出ます。

ハルビン兆麟小学校(旧日本桃山小学/東本願上寺付属小学)

聖ソフィアスカ大聖堂にやって来ました。

教会の右下で鳩に餌をやる人民が集まっていました。中国らしいなあと思いました。もっとも、広州に住んでいた頃に鳥に餌をやって群がる中国人をよく見たかというと全くそんなことはないので、バイアスがかった感想ですが(苦笑)。

昼食は聖ソフィアスカ大聖堂近くの「李先生」。

とりあえず、ハルビン2日目の午前中はここまで。ともかく、一事が万事この調子です。ふらふら歩いて、写真撮って、また歩く。そしてブログ記事を書こうと調べて、新しいことに気づいて多少のショックを受ける。

もっとも、実際に街歩きしていても街歩きして建物の写真を撮って、また歩いてという行為そのものに慣れていない訳ですから、違和感といいますか、こんなもんかなあという感想は拭えていなかったりします。

ツイッターを眺めていると、中国に行くと「社会主義核心価値観」の写真をそこら中で撮って投稿するのが定番の流れのようなものが一部でありますが、街のそこらへんにある看板を探して街の風景もカメラに収める。なかなか理にかなってるというか、実践すべきだったかなと思っています。

 

コメントを残す