こんばんは
かなり長期間掛かってしまいましたが、ようやくこの記事を書き終えることができました。
前々回の記事でウラジオストク駅から第099列車に乗車した管理人と同行者です。ネットを探せば出てくるものの、数は多くない第099列車の乗車録です。その長い一週間、正確には6日16時間と51分の旅をどうにか一つのエントリーにまとめようと努力しました。
さて、第099列車の出発はウラジオストク時間の1時22分ですので、ここから始まる第1日は乗車時点で既に1日目です(文章力の限界…)。それでは、始めていきましょう。
第一日目
ウラジオストクの街を一日歩いて若干汗ばんだまま非冷房の客車に乗っていますから、清々しいとは言い難い気持ちで起床。
ラフな格好に着替えて、昨晩乗車後に配られたシーツを寝台に整えてやれば少しは気持ちも良くなりました。天気もこの通りです。
(つまり暇な)車内の過ごし方を模索しているうちに列車はハバロフスク駅に到着。第099列車乗車後初めての67分間の長時間停車でした。
牽引機はEP1(ЭП1)型電気機関車。無骨な見た目ですが1998年から生産開始されたかなり新しい車両です。日本のEF210やEH500と同世代ですね。
ロシア鉄道で写真を撮るのが禁じられているのは昔の話でしょう。勿論、戦車を載せた車列が走っていたらカメラを向けないだとか、軍人は撮らないとか、そういった海外式のルールはあると思います。あと個人的に撮影を嫌がる乗務員が居たりするのは万国共通かと思いますが、幸いに今回の旅ではそういった場面はありませんでした。
我々のベッドは進行方向左手側です。この辺りだと山の向こうは中国かと思います。
iPodで音楽を聴きながら持ち込んだ小説を読んで、たまに電波を掴んだらTwitterを開く。そういえば昨年上海から乗った蘇州号もこんな暇さでした。あれは船酔いで文字が読めなかったので遥かに時間を過ごしやすいです。
19時半くらいに陽が傾き初め、この写真はそろそろ日没の頃。なかなか美しい空でしたが、列車から撮るしかないのがもどかしいところでした。
東西に長いロシアは11のタイムゾーンに分かれていて、起点のウラジオストク時間(VLAT)は日本時間より1時間進んでいます。当然、列車が西に進むにつれてタイムゾーンを跨ぐことになります。第一日目では20時57分に出発した Obluchye駅から次のKundur駅にかけて ウラジオストク時間 からヤクーツク時間(YAKT)へとタイムゾーンが変わりました。
つまり、 20時57分にObluchye駅を出発すると時計を一時間巻き戻し、19時57分となる訳です。
兎も角、夕食にはウラジオストクで買っておいた韓国製カップラーメンを食べて一日目終了。思いのほかあっという間だなというのが初日の感想で、このまま一日があっという間に過ぎるなら、シベリア鉄道、意外と楽なんじゃないかと思っていました。この時は。
第二日目
シベリア鉄道二日目は微妙な天気で開始。この記事を書いている時点で乗車から1か月以上建っているもので記憶は怪しいですが、午前中の写真が1枚もない辺り恐らく午前中の天気は雨。
ロシアではこの通り、線路は横断するもの。
放牧的といえば聞こえが良いですが何もない駅前。
換算16mm、ノートリミングなのに奥の山の稜線が窮屈そうです。そう書けば雄大さが伝わるかなと思います。
ドアの右端でそっぽを向いているのがウラジオストクからシベリアまでお世話になった車掌の一人(二人で交代制です)。何気なく撮った写真ですが、今回の旅で唯一彼が写っていました。
首から下げている端末で乗客の切符を読み取っていました。もっとも、既に乗車した客に関しては、シーツと交換で回収されて控えもないので顔パスです。
モゴチャ駅を出発した辺りでようやく太陽が顔を出してきました。
第三日目
第三日早朝はカリムスコエ駅に停車。冬のような空ですが8月上旬。そして普通に寒い。
ここまでのエントリーで、シベリア鉄道車内でスマートフォンを盗まれたと書いてきましたが、ここに写っているロシア軍人のなかに管理人のスマートフォン(とモバイルバッテリー)盗難犯が写っています。高い確率で。
経緯を書こうとしましたが、うまくまとまりません。ただ、第二日の午後に彼らと会話しているときに「そのスマートフォンは幾らだ」と訊かれた時点で察しておくべきでしたし、枕元の網棚に適当に放り込んでいた時点で自分の不注意でした。
寝ぼけたままホームに降りていますから、車内に戻って写真をツイートしようとスマホを探して、アッ…やられた、と。驚くほど冷静でした。なぜなら枕元に置いていたから。分かっていたことです。
ホームに降りる前に気づいていたところで出来たことはあったかなと思うと微妙なのも救いです。同行者はスマートフォンの電源切っていたのですぐに翻訳アプリを開いて車掌に伝えるのも無理、持参していた紙の辞書には「盗まれた」だとか「盗難」といった単語が入っていなかったのでこれも駄目。
車掌にうまく伝わっても、どのみち相手が軍人ではどうにもならなかった気がします。
海外で物の管理が悪かったのは、誰が何というと自己責任です。しかしですね、自分たちで「日本人のロシアに対する印象はどうか?」と訊いておいて物盗んでいくのはどうかと思いますよ、呆れます。
ちなみに私は確認しました。それは領土問題の話かと、彼らは違うと答え、私は「ソビエトのイメージはとても強烈で、いまだにロシアは怖いと思われてる」という趣旨の答えをしました。
自己責任であれ、すっきりしない出来事です。
チタ駅に到着しました。左手に時計とロシア鉄道のマークがついた塔が写っているのが個人的にポイントです。
ここでの牽引機は EP1P(ЭП1П)でした。山岳地帯向けの旅客列車牽引機です。
さっとWikipediaを読んだ限りでは旅客型、貨物型の区別はない様でしたが、塗装で区別されているのかもしれません。この3色はロシア鉄道のコーポレートカラーで客車もこの色ですが、客車は我々の牽引機の青色、こちらはどちらかというと貨物が似合うような気がします。
ウラジオストクで一緒になった院生氏に鉄道写真の「順光」はこういうものだと教えました。理解してれたでしょうか…
そういえば側面に架線中の影が落ちているのはマイナスポイントだと伝え忘れてしまいました…(苦笑)
ロシアの鉄道駅の構造は日本のそれに親近感を感じさせるものです。大きな駅舎は兎も角、特に変哲のない島式ホーム同士が跨線橋で結ばれている姿はどこかで見たことがあるような雰囲気です。
進行方向左手はずっとこんな風景が続いていました。
チタ駅でウラジオストクで出会った院生氏と話して、彼は既に一度食堂車を使っているとの事で、彼の案内で初食堂車に挑戦。
食堂車の車両はかなり新しい雰囲気です。車内では気にもしませんでしたが、これ座席の下はひょっとしてジャガイモやニンジンやら収納されてるんですかね(笑)
この区間では進行方向右手が順光側だったのでそちらに座りました。チタ駅を出た後の進行方向左手の写真は逆光に近いので草原が少し黄ばんでいるような、もっともそれも山を挟んで向かいのモンゴルの雰囲気を感じさせて違和感も無い気もしますが、そんな感じでしたが実際はこの通り緑色の草原と青い空が広がっています。
ロシア鉄道初の食堂車メニューはボルシチとイクラの入った…ロシア人風にいうところのパンケーキ。ボルシチは言うまでもなくとても美味。イクラの料理もクセがなく美味しいです。というかロシア料理は総じて変なクセがなくて口に合いました。
チタ駅を出発した第099列車はおよそ260㌔の距離を5時間近くかけてのんびりと無停車で走行します。晴れていれば進行方向右手は順光の素晴らしい景色です。
学校の友人が馬術部なので馬でこういうところを走れたら素敵だなあと思うという話をしたら院生氏にモンゴルで昔から馬が使われているじゃないかと言われてそりゃそうだと思いました。
当初の予定通りK3次でウラン・ウデからシベリア鉄道に合流していれば見ることのできなかっただろう光景で、シベリア鉄道1週間の中でも抜群に素晴らしい景色を見れた区間の一つだと思っています。
素晴らしい景色となかなか口に合う食事を楽しみながらのんびりと日中を過ごし、ようやく午後一番目の停車駅。
駅舎の前にオレンジのユリが綺麗に咲いていました。
シベリア鉄道の写真を検索すると川沿いの線路を走るイメージ写真がヒットしますが、外から撮れば確かに雄大な光景かもしれません。乗っていると…果たして…
午後7時過ぎ、シベリア鉄道とモンゴル縦貫鉄道の接続駅、ウラン・ウデ駅に到着。全行程のおよそ半分です。
モスクワ寄りに保存されているСу型蒸気機関車と我ら099列車の牽引機EP1Pの並び。光線も素晴らしくとても良い。
ロシア名物のアイスクリーム。管理人は素のミルクアイスは苦手ですが、これは普通に甘みがあってとても美味しいんじゃないかと思います。
左の写真だと奥に写ってる男性もこのアイス食べてるんじゃないですかね。こぞって買われていました。シベリア鉄道に乗ったら是非オススメです。
ウラン・ウデはカッコイイ蒸気機関車の並びと、美味しいアイスクリームの売店と素晴らしい夕方の光線の駅でした。
ウラン・ウデ駅出ると列車は再び川沿いを走り、まもなく山の向こうに太陽が沈みました。
第四日目
4日目朝。良い天気になりそうです。
ちなみに中国の新疆ウイグル自治区にクイトゥン市というのがあるようですが、普通にイルクーツク州。距離にするとおよそ半分と言っても差し支えない気もしますが、4日目にしてまだイルクーツク州なのか…と思うとあまり気乗りしません。
昼過ぎに停車したニシュネウジンスク駅で牽引機は再び EP1(ЭП1)に戻っていました。
ホームの端に足を運ぶとVL80R (ВЛ80Р)が置かれていました。現役で走っているものとは違う、水色の車体色です(現役で見かけたものはいわゆるロシアングリーン)。画像検索でも見かけないカラーリングで良く分かりません。
VL80Rはクラスノヤルスクなど東シベリアの線形の厳しい区間で使われる仕様で、末尾の Р はロシア語で回生ブレーキを意味する рекуперативное торможениеから取られているそうです。二度と使わなさそうな知識です(苦笑)。こういうのを調べながらブログ記事を書くのは楽しいと思っています。
途中から(満州里からシベリア鉄道に合流するチタから?)ちらほら見かけた中欧班列コンテナ。他にも現代と書かれたコンテナなどはウラジオストクから船に積み替えられて韓国に行くのだろうと思いますが、まあ鉄道って繋がってて凄いなあと思いました。日本もサハリンと北海道(勿論、サハリンとロシア本土も)を鉄道で結ぶのは良いと思いますけどね。
今日も今日とて食堂車。この日はボルシチ(気に入った)とシーザーサラダ。ウラジオストクからリンゴとプチトマトを持ち込んでいますが、どうしても野菜不足なので食堂車で食べるのは賢明な気がします。
夕方、イランスカヤ(イランスキー?)駅に到着。写真からも伺える雲一つない青空で、首元がとても暑い。別に気温が暑い訳じゃないんです。記憶が確かなら風も吹いていたはず。でもアチチって感じる太陽の強さ。なかなか文字では伝わらないですね(;´д`)トホホ
大きなラズベリーが大量に入って100RUB。ロシア人が美味しそうなものを手に持って歩いていたので急いで探しに行きました。とても美味しかったです。
クラスノヤルスクの手前に近づくと風景が徐々に変わってきました。イルクーツク時間からクラスノヤルスク時間へとタイムゾーンを跨ぎ、モスクワが少しずつ近くなってきました。タイムゾーンを跨ぐと一日が25時間に伸びるので暇を持て余す車内ではそれはそれで苦痛だったりします。
21時前のクラスノヤルスク駅。シベリア地方で三番目に大きい都市クラスノヤルスクですが、残念ながら駅から街並みは見えず。
操車場を照らすヤード照明灯と日没時の空。シベリア鉄道4日目終わり。
第五日目
第五日目は朝からシベリア最大の都市でありロシア第三の都市、ノヴォシビルスクに停車。
この写真を(同行者のスマートフォンを借りて)Twitterに投稿したところ、18年前にここを訪れたという方からブログへのリンクを貼られたリプライを頂きました。その中の写真で構図がそっくりで驚き。手前の架線柱と車両以外は当時の雰囲気そのまま。でも思えば18年前はまだ平成ですし、言われるとそんなに昔ではないかも…?日本でも当時から変わらない風景は探せばありそうですし、分からなくなってきました(苦笑)
牽引機はEP2K(ЭП2К)型機関車へ交代されました。2006年から製造の始まった比較的新しい形式です。
奥手に山が見えなくなり、4日目までとはやはり雰囲気が異なります。シベリア最大の都市でありロシア第三の都市の近くだからと言って都会の街並み…では決してないのですが
昼食は今日も今日とて食堂車へ。毎回ボルシチ頼んでる気がしますが、野菜と肉も入っているし、車内では大して動かないのでこれくらいで丁度良く感じます。
昼食後、院生氏を交えて話している最中からバラビンスク駅に停車。食堂車のおばちゃんは停車したから外に出てはといった感じでしたが直後に土砂降りのスコール(?)売店慣れた手つきで店じまいしたのできっとこの時期のこの地域では日常的なのかもしれません。
シベリア第二の都市オムスク。ノボシビルスク同様の堂々とした駅舎でした。オムスクではやはり季節的に気候が優れないのか、比較的、厚着された地元の方も多く、車内で着ていたヨレヨレの半袖Tシャツでは少し浮いた感じ。もっとも、長距離列車の停車駅とあっては誰も気にしていないでしょが…
第六日目
早朝のエカテリンブルグ駅…これはもう動画が管理人の貧弱な語彙力以上に多くを語るんじゃないかと思います。もうね、素晴らしいです。
暫くしてペルム駅に到着。特に物珍しいものはありませんでした。この写真に一応、我ら5号車の車掌が2人同時に写っています。ドア横の一人と、真ん中でお腹の出たタンクトップ男の後ろのひょろっとした方がもう一人(苦笑)
最後の食堂車での食事…は特に豪華にもならず、ボルシチと一応、これはサンドイッチでしたね。ボルシチ、素材の味を生かした本当に美味しい料理です。
午後最初の停車駅、バレジノ駅。
ここで機関車交代。チェコ、シュコダ社製のChS4T(ЧС4T)型機関車です。
機関車の付け替え作業を眺めていたら、横にも作業を眺めている男性が居ました。機関車が連結し終えた辺りで何か話しかけられましたがさっぱりわかりません。機関車を指さして何か言っていたので、笑顔で親指を立ててたら男性も笑ってくれました。何か大切なことは通じたと気がしました。
飲み水を切らしていることを思い出して出発前に慌てて売店へ。見かけた瞬間、購入決定ですよね。買うしかないです。中身はパルムみたいな感じの普通のチョコアイスバーですが、普通に美味しかったです。この普通ってのがまた、国によっては普通じゃない不味いのが出てきたりするんですけど、ロシアは基本的になんでも日本人感覚でも普通のものが出てくる印象でしたね。
午後に到着したキーロフ駅には広大な操車場が広がっていました。中国国鉄にも同じことが言えますが、誇大な鉄道網を有しているのに全て同じ塗装に塗られていて素晴らしいです。
駅のホームからは素晴らしい光線でした。最高でした。
キーロフ駅を出発し、いよいよ日没も近づいてきました。長い長い、099列車の旅も最後の夜です。
第七日目
翌朝、コストロマ駅到着。そして第099列車最後の長時間停車駅です。
ここで牽引機を交代したようです。ここからはチェコ、シュコダ社製のChS7(ЧС7)型機関車です。それなりにスタイリッシュな顔をしていますが、80から90年代製造なのは意外です。
正面が出っ張ったデザインに同じメーカーの ChS4Tに通じる意匠を感じますが、あれは原型のChS4が丸みを帯びた形なのでまたちょっと違った話かな、などと思ったりもします。
朝5時半前、母なるヴォルガ河を渡り、いよいよモスクワが近づいてきました。
管理人が(今のところ)一番気に入っているロシア音楽は「アレクサンドロフ・アンサンブルの歌(Александровская песня)」という文字通り赤軍合唱団、アレクサンドロフ・アンサンブルの為の歌なのですが、その中で” Свет над Волгою-рекою, И космический рассвет.”という歌詞がありまして、「ヴォルガ河の上に光が、宇宙の(広大無辺な)夜明け(cosmic dawn)」といった訳になるのですが、もう素晴らしいですね。最高です。
一週間を過ごした「プラッツカルタ」とも今日でお別れ。
テーブルの配置が微妙だとか、日本人でもベッドの長さが足りないとか気になることはありましたし、日中は尻が痛いし電波無いし、一日26時間は苦行だし、トイレは壊れて車掌は諦めて封鎖してしまうし…と言いたいことは多いですが、非空調、小動物持ち込み可の我ら5号車、なかなか良い車両でした。
そして遂に終点モスクワに到着。9301キロの距離を実に6日16時間と51分かけて走行する列車は時刻表通りにモスクワに到着したのです! Хорошо!
降り立ったモスクワは清々しい青空で迎えてくれました。
(もっとも、ホームに完全に停車したのは11時18分頃です。駅構内に入って速度は落ちてきたのが14分頃なのでまあ、誤差…)
ウラジオストクから一緒だった大学院生氏ともここでお別れ。同行の友人と3人で写真を撮りました。写真を送ると言ってまだ印刷していない…
第099列車、さようなら!全ての区間を担当した5号車の車掌二人、食堂車の係員、そして安全運転に携わった全ての鉄道員、 Спасибо!
忘れることのない鉄道の旅です。
シベリア鉄道が到着するのはモスクワ・ヤロスラフスキー駅。
飛行場は郊外にありますから、地下鉄でもバス・タクシーでも、都市部に入るにつれ発展していく様子が見れるわけで、その街の雰囲気を少しは掴んた状態で下車すると思うのですが、ここでは駅舎を出るとすぐに見知らぬ街並み、それも発展した都市の街並みというのはかなり新鮮でした。
この記事を書き始めてかなりの期間が経過していて、本文をまとめるのも苦労しました。基本的には大したこと考えずに延々時間が経過しているのもひとつ事実です。一方で1週間様々な風景を目にして、トラブルもありましたし、ブログに書いて記憶に留めておきたいことも様々です。
その辺りの妥協点をなんとか形にできたかなと思います。兎も角、シベリア鉄道第099列車についてはこれにて〆にします。それでは、次回のエントリーでお会いしましょう。