こんにちは
ゴールデンウイークが終わってしまいました。特にどこにも行くことはなく、あまり建設的に過ごせた休みではありませんでした。岩国のフレンドシップデーに行きたいなと昨年も思っていましたが、今年も訪問せず。あれは少し行きにくいところです…
さて、今回はハルビン滞在2日目午後ということで、前回の昼食後、ホテルを一旦チェックアウト、荷物を預けたのちに731部隊跡に向けて移動を開始しました。
731部隊跡はハルビン市街からおよそ20キロ南に位置します。ハルビン駅南側の「鉄路街」にあるバス停から343路乗車(バス停は恐らく臨時だと思います。南駅舎の工事が終われば駅前から出るのでしょう…)。22駅後の双拥路で下車。案内が出ているのですぐわかります。
重苦しい文字列とは全く対照的な、日本でもあまり見れない青空です。これが東北部かぁ…
「侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館」
ハルビンを訪れたなら来てみたかった場所です。来てみたかっただけで、特にそれ以上ではないのですが…
731部隊跡を横切る形で線路が走っています。過去にいろいろとあった場所に真っ直ぐの線路が伸びているのは、どこぞのポーランドの収容所のようであまり気分がいいものではありませんが、これは部隊跡の北側に位置する工場(団地?)への引き込み線です。
一旦、陳列館を通り過ぎたところにある、このプレートが置かれてるのは一応「出口」です。陳列館から入り、遺跡を見て出るのが正規の経路のようです。
守衛は居なさそうなので勝手に入っても大丈夫だとは思いますが(そもそも、私たち自体、ここから出ていませんし…)、陳列館は十分興味深いので、それをパスするのはあまりに勿体ないと思います。
インターネットにちらっと、陳列館は昼過ぎから開館という情報があったので、本当はここに午前中に来る予定だったのを変えていたりします。現場で開館時間を確認するのを忘れてしまったのですが、到着した14時過ぎ(すみません、カメラ時刻設定をどうしたか怪しいので13時かもしれません…)時点で入口付近に列があったので、本当に昼過ぎから開館なのかもしれません。
さて、陳列館に入ってすぐです。感情的な展示なんだなと思うのは当然だと思います。そう思ってました。
昨年の夏に訪問した中国人民革命軍事博物館はプレートに文章で解説ががっつり書かれているようなものが多かったと記憶していますが、こちらは基本的には写真と資料がメインになっていて、陳列館の字のごとく、陳列されているといった感じ。
例えば、この天井からぶら下がっている書類はアメリカの公文書ということになっています。
展示されている資料が本物であるかどうか、恣意的に選ばれていないかは特に関係ないんじゃないかなというのが管理人は思います。
日本軍の蛮行に興味がある人が展示を見れば喜ぶし、もし彼らの知らない資料があればそれはそれで結構なこと。何も知らない人が展示を見れば、(それが恣意的に選ばれた情報であっても、結果的に何ら変わらず)日本軍の蛮行があったと知れる訳ですから、誰の損にもならないでしょうねと思います。
当然、頭をかしげたくなる展示はありました。
例えばこの軍刀の左に置かれてる紙には、金銭の対価に軍刀を渡します これを機にこれまでの行為を反省しますみたいな誓約書が書かれてます。なんだこれはと気持ち悪いですし、だからなんだと思わなくもないですが。
資料や写真のほかに、力が入っているのが各種のジオラマでした。これは731部隊司令部全域のジオラマです。なかなか広域な施設です。
現に、部隊跡の東側は勝手にアパートが建てられたという話もどこかで読みました。
一部の軍服マニアにはたまらなそうです。
そもそも関東軍防疫給水部という訳ですから、それに関連する浄化装置なども置かれていました。
これは石井式濾水機を入れておく容器ですね。奥に見えている薬莢のようなものが浄水器本体でしょう。
資料の展示が淡々としているといっても、展示上手いです。本当に上手いと思います。
Wikipediaにも書かれている細菌爆弾の効果測定の展示です。開けたスペースに十字架が刺さっていて、なんだこれはとたまげる訳です。上から何か降ってきています。
ここで使われていた九九式軽爆撃機のエンジンマウントも置かれていました。
少なくとも731部隊というと人体実験のイメージばかりですが、生物兵器を入れた爆弾についても展示スペースを割いていました。
まあ、爆弾で生物兵器を投下しながら実験してるのだから、そりゃそうかと思いながら見ていたのですが。
風船爆弾ですよね。いや、しかしこれは焼夷弾と搭載したのではと思ったのですが、一応計画はあったのですね。搭載したところでアメリカに渡る過程で生物兵器が死滅すると思うんですが実行されなくて良かったです。
出口付近は施設の破壊工作について。床のジオラマは(田の字)になっている本部の破壊跡で、実物大のコンクリートやレンガを模した壁、天井のフレームと溶け込んだ面白い展示方法だなと思いました。
兎に角、管理人の文章力も良くないですし、そもそも731部隊に興味があるわけではなく、単に跡地に来てみたかっただけですから何とも言い難いのですが、純粋に博物館の展示として物凄く上手いなというのはここまで書いた通り、思った次第。中国人民革命軍事博物館もそうですが、この手の博物館は日本で見れるものではない(と思う)ので、尚更興味深いものがありました。
冒頭にも書いた通り、この展示をスルーすることもできますが、それは勿体無いんじゃないかなと思います。是非、入ってみてください。
陳列館を抜け、本部跡へ。本部跡ということになっているものの、最後に見たジオラマの通り、敗戦時の破壊工作で壊されている筈で、一部だけの復元されたものでしょう。
内装もそれらしく復元されたものです。
部隊長事務所の再現。ここが中国なだけに、いかにも反日ドラマに出てきそうだなあなんて思いながら見ていたのですが、これもかなり「らしく」作ってあると思いますね。
このあたりも古そうですが、破壊工作はかなり徹底されていたので、復元した建物が単に経年劣化で…
とはいえ、地下ガス保管庫なんかわざわざ復元するもんなんでしょうかね…
そして有名なボイラ煙突。これは復元ではなく、破壊されずに残ったものです。
感無量なんてことはないですが、ここは是非とも見たかったので、ハルビンで来たかったところに来れてやはり満足という程度。
少し古いインターネット記事では近くまで立ち入っているものもありましたが、一応フェンスで囲まれていて、写真はフェンス越しに撮ったものになっています。
このボイラで供給された熱で菌類や実験動物の飼育を行っていたようです。
地下水路跡については修復中でしたので、修復が完了すればまた近くまで立ち入れるようになるのかもしれません。
いつから付いたのか知りませんが、壁の裏側に補強材が入っています。
戦後から補強が付くまで、しかも破壊工作後にも関わらず良く残ってたなあと思います。
線路乱入( 一一)
施設の破壊跡については、現在は天井のある建屋で覆われています。
古代の遺跡でもないのに、立派な施設が作られていて不思議な感覚です。兵馬俑でも見に来た気分ですが、規模は違えど大概には同じ雰囲気だと思います…(たぶん実物見てもあれは感動しない部類のものだと思ってます)
この写真は、破壊した際の爆心地と書かれていたと記憶していますが、爆心地なら幾らでもありそうなものですが…
731部隊遺址には他にも遺構は残っている筈なのですが、疲れていたし、管理人についてはここに来れただけで正直目的は達成されていて、まあこんなところで切り上げて市内に戻るかということに。
帰りも同じく双拥路から343路乗車。
折角なのでバスは途中新中新集团停留所で下車し、哈南駅(哈爾浜を哈と略している)からハルビン地下鉄に乗り換えました。
博物館前で下車後、特にやることが見当たらず近くをうろうろ。
ケンタッキーと化した東清鉄道管理局長官邸。確か、日本でも古い歴史建築がスタバと化していたのが若干話題になっていた思いますが、朽ち果てるより何らかの形で活用されるのは良いことだと思います。
前回の記事で、ソ連兵の記念碑の横にあると書いた国際飯店、旧ホテルニューハルビン。
ロシア人設計ではありますが、アール・デコ様式の日本式建築ということで、横浜辺りにありそうな雰囲気で素敵です。
黒竜江省博物館はいかにも大したものがなさそうだったので当然のようにパスされています。
歩いてヤマトホテルの方に戻ります。
ハルビンの街並み、高層ビルは確かに建っているものの、北京や上海の様に数は多くなくすっきりした空です。
南満州鉄道株式会社哈爾浜事務所旧跡 1925年竣工
ヤマトホテル向かい側の建物。1912年に完成、20年代に入りオランダ領事館として短期間利用されたようですが、最終的に日本に押収されています。
ロシア人により建築され、さまざまに使われたのちに日本に押収されているのはハルビンの多くの建物が同様ですね。ヤマトホテルも、同様ですし。
駅へ向かう前最後に、今回宿泊した旧ハルビンヤマトホテルの新館、龍門大厦。夕日に照らされていい感じ。
そして再び霁虹橋を渡りハルビン駅へ。しかし、この霁虹橋の歩道まで通行止めになるとしたらかなり厄介です。せめてハルビン駅の新駅舎が完成すれば地下道も同時整備だと思いますが…
霁虹橋を渡る前にここでバスが撮れそうだと同行者に待ってもらって望遠レンズを取り出す。
残念ながらハルビン市バスはどれも広告ラッピングなのでその点は諦め。
この宇通客車のこのフェイスは気に入っているので、ようやくバス撮り出来てなかなか嬉しかったりします。
やはり、街歩きよりこんなものでも撮ってる方が楽しいものひとつ事実だったりします…
そしてハルビン駅前の広場へ。しかしどう考えたって列車の時間までまだ早く…
今度は荷物を持ったまま中央大街へ戻ったのでした。
ブログや旅レポートを調べつつ、若干迷いつつも今夜の夕食を決めました。
東方餃子王という、チェーンの店。
日本の(焼き)餃子ではなく、中国では水餃子がメインです。
写真には撮っていませんが、今回はお勧めマークの付いた餃子三種類。餃子の見た目は同じようなものですが、なかなか美味で好吃。
餃子はハルビン名物だそうです。
中央大街から再び駅に戻り、ちょうどいい時間。
暫く待ち、改札開始。
K1022次 哈爾浜23:25→瀋陽6:12 乗車。
ハルビンは夜行列車の始発駅でなく、枠が少ないので当初予定していたものとは違う列車です。出発時間も値段もほぼ変わらないので結果没問題とはいえ、Ctripで10時打ちしようと開いたら既に売り切れていて焦りました。
相変わらず、中国の駅のホームで一眼レフを取り出してパシャパシャ撮って回ったり、機関車を拝みに行く気が起きません…スマホの写真と、あとは心に刻む風景です。
切符を引換証に換えて、後は翌朝瀋陽に着くだけ。
そんなところで、ハルビンでの2日間でした。まだまだ見たいものがあったような、やはり街歩きは苦手というか見たまま素直に楽しめる訳じゃなくて、目的地ちゃんと決めないとな、とか帰国後にいろいろ思う次第でした。
とはいえ最低限、見たいものを見れたのは間違い。前回の北京旅行と違って食事もある程度はそれらしいものを食べれたし、ハルビンで一番有名な氷祭りを見に再び訪問する機会は作れるんじゃないかなと思えば、結果オーライじゃないかなと思います。
再訪の機会があるならばその時はWikipedia中国語版にある哈尔滨市文物保护单位のページや市政府の集計表を参考にしていきたいものです。帰国後に存在に気づきました(-_-;)
あと、日本大学のハルビン絵葉書検索システムも写真を撮るうえで比較できると楽しそうでした。
翌朝は瀋陽です。瀋陽では同行の友人と別れ、管理人はかの有名な撫順炭鉱を訪問します。果たして無事に撫順で成果を得ることができるか。どうでしょうか。
ではでは。