前回の記事「シベリア鉄道・欧州遠征1」からWordpressに新しく追加された”Gutenbergエディタ”を試しています。使いこなせれば画像を多用するスタイルのブログではかなり便利になるんじゃないかナァと思います。
アエロエクスプレスでウラジオストク駅に到着したはものの、この天気では積極的に動き回る気も起きず、取り敢えず駅の近くにあるフェリーターミナル裏のデッキで今後の予定を思案。
同行者との合流は夕方なので、夕食はいわゆる北朝鮮レストランに行こうとは思っていたのですが。日中どう時間を過ごすかです。
奥に見えている白い船はオビ級病院船「イルティシュ」
駅の程近くにある中央広場。市場が開かれる日があるそうなので、賑わうこともあるのでしょうが、この天気では人影より鳩の方が多い。
正式名称を革命戦士広場といい、偉大なるソビエトのために戦った戦士のモニュメントだそうです。哈爾浜で見かけたソ連軍烈士記念碑の方が立派な気もしますがきっと天気のせいでしょう。
駅から東に歩いて潜水艦S-56まで来ました。第二次世界大戦のソ連海軍のS型潜水艦を博物館にしたものです。
艦橋にはどう見ても”C-56”と書かれているのですが、これはキリル文字で”S”という具合です。
あいにく、中国人の団体と被ってしまったので中に入るのは一旦断念しました。濡れた傘も邪魔でしたし。
疲れたので一休みした公園にあった銅像は”内戦の英雄セルゲイ・ラゾ記念碑”というもの。なかなか厳しい顔つきです。
駅の東側一帯を雨の中歩いて疲れたので喫茶店で一休みしても同行者と合流できる時間までまだしばらくあったので、目星をつけた沿線へ。
沿海地方行政府の駐車場の地下を抜けた辺りです。ウラジオストク駅から歩いてもアクセスできますが、駐車場の下は歩道もなく薄暗いので北側のショッピングモール側からアクセスするのが良いかなと思います。
こんなもの感じで撮れます。ЭР9ПK-322。
ロシア鉄道の前照灯は常点灯の様で、これはただの後追いです。兎も角、半流形のエレクトリーチカがウラジオストクで撮れるとは思わずかなり驚きました。
半流形エレクトリーチカは絶滅危惧種だと思っていたので撮れてラッキーでしたが、9月4日の海外ニュースによるとウラジオストクに新型のEP3D”EMU”が投入されるそうなので、タイミング良い訪問でした。
ロシアのエレクトリーチカについて全く詳しくないのですが、この編成に関しては奥側(進行方向側)のパンタグラフに日本で見るような菱形パンタグラフが使われているのは特徴的かと思います。シベリア鉄道乗車中やモスクワでもパンタグラフ混載した編成は見かけませんでした。
ЭД9T-0014
上の写真のЭР9ПKの” Р”はラテン文字だとRに相当するのですが、このRはラトビア車両製作所のRから来ています。ЭД9Tの” Д”はラテン文字だとDになり、これはデーミホヴォ車両工場(モスクワ)を指します。この編成ははるばるモスクワから大陸を横断して来たという具合です。
市内でこんな構図なら御の字かなと思います。車通りこそ多いものの人通りは皆無なのも良いです。観光地化の激しいウラジオストクなのでシベリア鉄道乗車前に鉄分を補給するにはちょうど良さげです。
この後、成田から直行便でやって来た同行者と合流し駅から南にある朝鮮レストランへ。写真はスマホと共に消えました。普通に美味しかったですが、瀋陽の焼肉の方が身の丈に合っている気はしました。
翌日は打って変わってとても良い天気。 駅前のレーニン像からスタート。
市内を延々歩いて鷲の巣展望台へ。時間も余っているのでゆっくり移動していたら逆光になってしまいました。
ネットで作例を見ると夜景が綺麗かなと思います。もっとも、夜に軽率に来れる立地ではないような気がしますが…
ソビエト感溢れるケーブルカーで下山。歩いても良かったですが、幾らウラジオストクが涼しくて快適と言っても30分も坂道を歩けば暑いですし疲れました。
前日は雨が降っていた潜水艦S-56博物館に再び来ました。晴れているに越したことはないです。
潜水艦の後ろ半分はロシア帝国海軍からの歴史や潜水艦の歴史について紹介されていた様ですが、ロシア語なのでさっぱりわかりません。前半分が潜水艦まま残されています。
管理人と同行者の直前に団体が入ってしまったのであまり落ち着いて見れなかったのは残念です。市内そこら中に団体客が居ましたから、いつ来ても団体客とエンカウントしてしまうんじゃないかなあと思います。
潜水艦の下半分はバッテリーやタンク類で占められているのでクルーが活動するのはただでさえ大きくない潜水艦の上半分で、そこに様々な機器類が押し込まれています。 これまでに「あゝ伊号潜水艦」や「深海の死者」をはじめとして何冊か潜水艦が舞台になっている本を読んだことがありますが、新しい気付きでした。
革命戦士広場もやはり晴れている方が良いです。
やることが尽きた感があったので駅から見て北西にある海が見える公園に来ました。
日没まで2時間近く待った気がしますが、日没のために時間を過ごすならマシな気がします。
途中から嫌な予感はしましたが、残念ながら太陽は右手の厚い雲の中にサヨナラしてしまいました。
オレンジ色と青色が一枚に入るようなカットは初めて撮った気がします。鉄道の写真だとこの時間はもう露出が厳しいと撤収していますね。
これも写真はスマートフォンとともにサヨナラしてしまいましたが、ウラジオストクで有名だというロシア料理屋に入りました。何となく微妙でした。
食事後、スーパーに行ってシベリア鉄道に持ち込む食料の買い出し。カップ麺4個とクッキー2袋、ミネラルウォーター、日持ちするのでリンゴとプチトマト。その他、使い捨ての皿とナイフ、ガラス製のコップなど700RUB程。
ウラジオストク駅へ。切符は午前中に引き換え済みです。
待合室で偶然、日本文学を研究していると云う英国人大学院生と出会いました。同じくモスクワまで向かうということで、少しばかり安心感が増しました。同行者を交えて会話を楽しみつつ待合室で時間を過ごすのはあっという間でした。
薄暗いプラットホームは何かと旅情が引立たされました。
列車は定刻に出発し、車内が慌ただしい状況のまま車掌が切符の回収とシーツ類の配布に来ます。
中国鉄路の寝台列車だと切符と引き換えに換票証を渡されるのですが、シベリア鉄道ではシーツ類がその代わりを果たしているようです。汗かいているし夜も遅くて面倒なのでシーツ類を足元に放り出してうとうとしていたらわざわざ起こされて切符を見せろと言われました。
翻訳アプリで車掌に”切符はもう渡した”と伝えたら足元に放り出したシーツ類を見つけたようでした。なるほど、シーツが換票証なのかと理解。そして、まだ慌ただしく落ち着かない車内で寝落ち。日本出発から既に6日。
さて、ここまでがウラジオストク1泊2日でした。
日本から一番近いヨーロッパと紹介される機会が(増えている?)街です。元も子もない感想ですが、こういった雰囲気ある街を味わいたいならハルビンに行けばいいんじゃないかなと思いました。漢字圏だし、市バスは使いやすいです。歴史建築はウラジオストクも多数ありますがどれも状態は悪い感じがします。ハルビンの歴史建築はボロも多いですが、兎にも角にも保存しようという意図はありますし、目立つものはまだ現役で使われています。
街の外れに残っている路面電車に乗るために市バスで移動したかったのですが、30分程待ってもその系統のバスは着ませんでした。バス停の案内には7分だか10分間隔と書かれていたのですが…結局、ウラジオストクの路面電車は乗れていないです。(^^ゞ
バスも種類が統一されておらず、ボロボロのバンのようなものまで使われています。公共交通機関が使いにくいとポイントが下がります。
観光ガイドはいつでも美化されているのだと改めて感じました。ウラジオストク、もうちょっと良いところだと思っていたのですが… とにかく、ハルビンとウラジオストクどちらが良かったかと言えばハルビンが良かったというお話で締めたいと思います。