春ウラジオストク遠征-前

2月20日から25日にかけて沿海州を訪れた。春休みは中国内陸部に行く予定だったのだが、世界的に話題になっている新型肺炎の為に旅行を悩んでいたところ、フォロワーさんが「バラノフスキー・ハサン鉄道」を走る北朝鮮行き客車列車の撮影に行く同行者を募っていたので同行する事にした。

バラノフスキー・ハサン鉄道は重連のディーゼル機関車が後補機まで付けて1km近い編成長の石炭貨物列車を引っ張る路線で、昨年の秋に実に素晴らしい作例がSNS上がっていて撮りたかったのだが、レンタカーが無いと撮影困難で、ペーパードライバーの自分にはどうすることもできず困り果てていたのである。

韓国経由が安いかなと思ったが、世間一般が三連休だと最終的に成田からのS7航空の直行便が安かったので、久々に地元に戻ることになった。ちなみに現在、JALとS7はコードシェア便なので、JALからチケットを手配するとJALエコノミークラスの荷物条件が適応される。これは良い。

肺炎の為か、成田空港はがら空きであった。最も、成田空港の第二ターミナルから出発するのは何年ぶりというレベルなので普段の様子は知らないが。出発から中国語の罵声にまみれたLCCターミナルより旅情はある。

2020.2.20

ウラジオストクまで乗機のS7機はLCCお馴染みA320。しかしシートピッチは驚くほど広く、どれくらい広いかというと前の人がリクライニング前回でも圧迫感を感じないほど。昨年の遠征でモスクワから乗った777より広いんじゃないかなあ。

快適にウラジオストク空港に到着したところで、市内行きのアエロエクスプレスの終電は終わっているので、107系統のバスで市内へ…の筈が運転手が何か言いながらバス停を離脱。戻ってこない。

この間、タクシーの客引きが1500ルーブル1500ルーブル、ホテルホテルと寄ってきて鬱陶しい事この上ないが、同じ便の日本人どころかロシア人もバスを待っているのに戻って来ない事はなかろう…でも来ないのである。

精々200ルーブルのバスを待っている連中に1500ルーブル吹っ掛けても乗るはずは無いのだが、かなり歳を重ねたタクシードライバーが5人なら400ルーブルという話を隣で待っていた日本人2人組にしていたので便乗する事にした。ちょうど待ちぼうけを喰らった日本人は5人で幸い、400ならと納得して市内に無事に到着した。数少ない海外旅行トラブル経験である。

ただいま、ウラジオストク駅前のレーニン像。

ホテルに行く前に駅前の港で軍艦バルブ。フレーム外だが、手間に停泊している貨物船が邪魔だと思ったら船名は「国後」。愛国主義的である。

ロシアで軍艦なんて撮らないに越したことはないのだが、見える位置に停泊しているのだし、所詮、皆撮ってるから大丈夫。


翌朝は昼前に宿を出て凍結したフェドロヴァ湾(アムール湾)を散歩した。ウラジオストクの有名なサハリンスカヤ電停に行く元気はどうにもなかった。

駅の脇のスタローバヤで遅い昼食を食べ、14時半にウラジオストクに到着する008Н列車の撮影地に移動したかったのでウラジオストク駅へ。

なんと、「丸顔エレクトリーチカ」がホームに待っているではないか。新型車両の導入に伴い引退したはず。これには驚いた。

ロシア南西部のヴォロネジから持ってきたらしい。昨年の夏までモスクワ近郊まで乗り入れていた編成が極東に…。ЭР9ПК-328-TrainPix

丸顔リーチカに30分ほど揺られ、アムール湾沿いのサナトリヤナ駅で下車。撮影地はサナトリヤナ駅とセダンカ駅のちょうど中間ほどで、アムール湾大橋の辺りである。

普通列車のER9MKに続いてアエロエクスプレスのED9Mが高速で通過した。5往復しかないアエロエクスプレスなのでこれはこれで狙うべきなのだろうが、本命の通過前に線路に積もった雪を吹き飛ばされて不本意。

15分としないうちに大本命の008Н列車が通過した。

極東方面を走るEP1はトリコロールの地域色のイメージが強かった。一昨年乗った99列車の牽引機がそうであったし、この撮影地の作例も地域色だったのだが、残念ながらロシア鉄道標準色。

撮影地到着後から粒が大きく非常に乾いた質の雪がかなり降り始めていて、アエロエクスプレスに吹き飛ばされた雪も再び線路に積もり、良い感じに撮れた。

008列車は2日おきに短い編成と長い編成があるらしく(途中で別方面からの列車を連結するのだろう)、特に調べずに撮影に向かったが幸いなことに長い編成が来たのもよかった。

タクシーで一旦市内に戻り、16時のアエロエクスプレスでウラジオストク空港へ向かった。008列車撮影後に市内に戻る予定で荷物はホテルに預けてしまっていたし、16時のアエロエクスプレスで同行者と合流するにはそうするしかなかったのだが、もし、荷物を持参していて、タクシーで直接空港に向かうことにしていれば、1時間後にER9Pを撮影できていたかもしれない。

ともかく、韓国からアエロフロートでやってきた同行者と無事に合流し、レンタカーでスラビャンカを目指した。この日は朝からロシアが日本人の入国規制を検討しているなどという(不正確な)ニュースが流れており、冷や汗モノであった。

2時間半ほどでスラビャンカの街に入った。

ホテルにチェックイン後、近くに中華料理屋があるらしいと出かけたが、営業していない。スーパーに足を運ぶと数分前に閉店。夜の22時過ぎにスラビャンカの街を歩いても店は開いていないのであった。

ソビエトの雰囲気を感じる無機質な団地をカメラに収められて満足。暗いところではフルサイズの強みが如実に出ますね。

ホテルの売店で売っていた辛ラーメンを主食に翌日の打ち合わせを済ませて遠征2日目終了。


One Reply to “春ウラジオストク遠征-前”

  1. […] ておらず尻込みをしていた。趣味仲間から脚立は不要だと知らされたので、成田発のウラジオストク旅行の前日の夜行バスを手配して撮影地へ。(まさかこのウラジオストク旅行が当分の […]

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