香東欧遠征2019 ⑧ ザカルパート州での撮影

明けましておめでとうございます。

昨年はあっという間に過ぎたように思います。春から会社員となり、毎月約160時間をパソコンの前で過ごし、毎日往復2時間を通勤に使っています。贅沢を言っているのはわかりますが、これは私に向いている生活だとは思えません。

ですが、私は会社と自宅の往復だけが人生の全てではないことを、知っています。再び異国の線路際に立って、鉄道の写真が撮れる日が来ること待ちながら、2022年も過ごしたいと思います。

前回の旅行記⑦を更新したのは2020年10月と長期間更新が滞っていましたが、記事で紹介したように、モルドバのバルティから乗車した夜行バスは定刻より大幅に早着した結果、深夜3時にコロミヤのバスターミナル(Автостанція Коломия、駅から約3km)に放り出されました。

歩いて駅まで向かう途中、スマートフォンから切符を手配したので窓口で受け取り、一安心だと列車を待っていると、イヴァノフランキフスク方面に向かう鈍行列車が入線してきました。D1をM62が牽引する、ペンデルツークスタイルの独特な編成ですが、待合室から出る気にもならず「見る鉄」です。今に思えば、勿体ないことをしました。

列車に乗ると、車掌がお茶かコーヒーかと訪ねてきたので、コーヒーを頂いて、すぐに寝てしまいました。バスは到底寝る気分にはなりませんでしたが、やはり、鉄道は安心します。

357列車はコロミヤの出発が05:57でヤシニャ到着が8:40です。山間部で速度が出せないので、距離の割に時間が掛かります。2時間ばかり寝て目を覚ますと、曇り空の山間を走っていました。

時刻表通り、ヤシニャの駅に到着。

ヤシニャでは「Hof」という宿を選びました。ヤシニャの街…比較的栄えている部分…は駅から少し離れているので、比較的駅に近い場所ということで選んだ宿でしたが、大当たりでした。

元々、後続の普通列車で昼頃に着くか、その前(つまり乗ってきた列車)で午前中に着くかもしれないと連絡していたので、9時半ころには宿にチェックインさせて貰いました。

どうせ曇っているし昨晩から睡眠不足だし不貞寝を決め込むかと思った辺りで晴れてきたので、自転車を借りて出発。


記事を書いていて、この区間のダイヤがあったほうが分かりやすいと思ったので、お手製のダイヤを掲載します。ただし掲載するものは私の訪問した2019年の時点のものです。この区間を走行する列車で日中の時間帯に撮影可能なものは上のダイヤの通りでした。

これらに加えて、深夜帯の605/606列車と、キエフ発で早朝にラヒフ到着・夕方にラヒフを出発する217/218列車が設定されていましたが、後者を目にした記憶がありません。私が訪問したタイミングでは走っていなかったかもしれません。

ウクライナを走る長距離列車は国鉄のWEB予約ページから情報を確認できますが、普通列車は各鉄道局(ザカルパート州ならリヴィウ局)のウェブサイト内の時刻表(リヴィウ局のリンク)を参照する必要があります。

英語は非対応、ウクライナ語で入力が必要ですが、ロシア語のサイトからコピーペーストすると表記ブレが生じますので、注意が必要です。例えば、ラヒフはウクライナ語ではРахівとなりますが、ロシア語ではРаховと表記され、ロシア語では検索にヒットしません。


写真を撮った本人が見ても本当に同じ日の写真なのかなあと思いますが、2時間もしないうちに天気が好転したようです。宿で借りた自転車はここもロードバイクでしたが、幸い、ドロキアで借りたものより体格にあったものでした。

慣れない自転車を特にアップダウンの多い場所で使うというのはそれだけで疲れましたが、最初の撮影地に向かいました。

2019.8.22 Вороненко-Лазещина №6441

ヤシニャでの一発目は怪我の功名とでも言いますか、元々乗って来る予定だった6441列車です。

数年前までは、モルドバで撮影したD1気動車がこの区間でも運用されていたのですが、今ではこの「DPL1」に置き換えられてしまっています。どこかで書いたかもしれませんが、管理人は出発の少し前まではD1が置き換わったことを知らずに予定を組んでいたのですが、風光明媚だしM62なら良いかなと判断してこの地を訪問したのです。

2019.8.22 Вороненк -Лазещина №25

2時間ほど待って、オデッサ始発の長距離列車がやってきました。

この写真は、旅行を通しても相当気に入っています。撮影から2年半近く経った今でも、よい写真だと思えます。

長編成の客車列車、2TE10の重連、非電化区間、機関車は国章入り、撮影地は自分でロケハンしたところ、実に最高です。それ以上、コメントはありません。

撮影地は地図の通り。黄色い印の辺りが道が狭い&急な傾斜で、番犬がギャンギャン吠えてました。こわい。


2019.8.22 Лазещина- Вороненк №358

Лазещина停車場の辺りまで戻り、しばらくしてやってきたのはキエフ行き358列車です。

ラヒフの終着駅から先が途絶えている(正確には、線路自体はルーマニアまで続いているが、2006年頃から不通)路線ですが、高い頻度で列車が往来するのがこの区間の特徴と言えます。

TE10特有の大爆煙で写真の半分曇ってますが、それにしてもやや窮屈な構図で反省しています。

2019.8.22 Лазещина- Вороненк №6404

再び一時間後くらいに通過するのは6404列車、この列車はDPL1編成ではなく通常の客車列車の牽引する普通列車です。ChME3が先頭ですが、数年前まではM62が牽引していたようです。

通過時には曇られてしまい、構図も悪かったので没写真だなあと思っていましたが、眺めていると後追い写真も良さそうです。

列車の通過後に再び晴れてきたので、「あるある」は海外でも変わらないんだなあと思いました。悲しいジンクスです。


Ясіняを北上して東に線路が向いた辺りの48.268592, 24.372324にある鉄橋というかアーチ橋は、このエリアの作例で度々登場する特徴的なロケーションです。

2019.8.22 Ясіня-Лазещина №26

爆煙。

やや逆光の感がありますが、夕方らしい良い光線で、 オデッサ行きの26列車でザカルパート州初日の締めと相成りました。

橋の脇はもう少しサイド寄りの上段があると思う(作例作例)のですが、時間切れでした。 Лазещина停車場の辺りから距離にして精々5kmを自転車移動しています。6404列車は定刻でしたし、迷うような道もないです。なぜ時間がカツカツになったのか、もはや覚えていませんが残念なことです。

本当はこの列車はヤシニャ駅側の山から俯瞰したかったのですが、橋からのアクセスがどう見ても放牧地の中だったので、迂回するのも時間不足で断念した次第。

丘の上の鉄塔を目指して、駅側からアクセスできるようなので、次回訪問の際は挑戦したいです。


夕食は宿で頂きました。宿の主人が山で狩ってきたというイノシシ肉です。イノシシ肉は初めて口にしましたが、クセの無い味で良かったです。個人的に肉の脂身というのが苦手ですが、部位にもよるのでしょうが脂身が含まれていないのでとても口に合います。

宿泊している宿「Hof」は駅には近いですが、街の中心から1kmほど離れた場所にあるので宿の食事が無いと大変なことです。


翌日は朝から素晴らしい晴天です。左上の写真は宿の部屋からの風景です。朝起きて、窓を開ければこの光景が広がるのは非常に素晴らしいです。

隣は朝食の様子。折りたたまれた薄い生地はブリヌイという薄いパンケーキのような料理のようです。やはりクセが無くて口に合いました。

朝食を頂いてから、自転車に乗って15キロほど南のКвасыへ向かいます。

異国の風景ではありますが、山に挟まれた谷に川が流れていて、道路と川が並走、線路が一段高いところを走っていて定期的に右岸と左岸を渡る鉄橋がある…という光景。これは完全に九州の鉄道の光景でしょう。

2019.8.23 Кваси-Білин

15kmほどサイクリングを楽しみ、Квасы駅の南側辺りまでやってきました。

三脚を立てて構図を決めていると、ChME3に引っ張られたマヤ検に遭遇。ユークレイニアン・マヤ検はドニプロでもお目に掛っているので、遠征中2度目です。日本でも見たことが無いのに…

2019.8.23 Квасы-Белин №6441

勿論、お目当ては6441列車です。引き続き、前日と同じ編成、定刻でやってきました。

ところで、この25m級の客車(と制御客車)は、ウクライナ製のЕПЛ9Тという電車と同等の車体です。驚いたことに、ЕПЛ9Тは3ドアですから、私の訪問したカザフスタン・ステプノゴルスクのER22は「世界唯一の3ドアエレクトリーチカ」では無かったというのがオチです。

ステプノゴルスクのER22は正確には、「世界唯一のソ連製の3ドアエレクトリーチカ」となりましょう。


2019.8.23 Кваси-Свидовець №358

6441列車の撮影後、ハリコフ始発の15列車を撮影すべく移動を開始しました。

下り列車はKvasy駅の北側に幾つか撮影地候補をメモしていました。15列車の通過まで2時間と余裕は合ったはずですが、なぜかまっすぐに撮影地候補地へ向かわず、結局、小川に掛る鉄道橋の辺りで暫しウロウロしていました。

2019.8.23 Свидовець- Кваси №15

列車は十数両編成だけれど、編成後部が見切れていてやや残念な感じになってしまいました。考えていた構図は奥に見えている道路の先のはずですが、下見にも行っていません。

逆光になりそうだから避けたような気がしますが、長い編成を見せることと、順光で撮ること、何を優先すべきだったかは良く分かりません。


ところで、この区間では線路がかなり高い場所に位置しています。山肌の高い場所に作られた鉄道の路盤は目新しい光景ではなく、2018年に乗車したシベリア鉄道はひたすら、このように山肌の高い位置に作られた路盤上を走っていたのを思い出しました。

写真に見えている鉄橋を歩いて渡りましたが、枕木の隙間から見える光景には足がすくみます。

2019.8.23 Ясіня-Лазещина № 6404

15列車の撮影後、来た道を戻り、普通列車の6442列車をヤシニャの鉄橋で撮影しました。

サイクリングの道中、写真のタイムスタンプを見るに一時間ほど前までは晴れ間が見えていたようですが、結果はこの通りです。


普段、宿の食事をブログで紹介しませんが、ヤシニャの宿の食事は絶品だったので紹介します。

鶏肉のソテーみたいなやつは、ロシアのスタローバヤでもだいたい置いてある、おなじみの主食。やはり、脂っこくないし変な香味料も使われてない点で、日本人の口に親和性が高い。右のスープも良かったし、右上にチラッと見えている飲料(典型的なモルスの味ではなかったが)も良かった。既製品の冷凍食品やレトルトだったら笑っちゃいますが、海外旅行中に楽しめる料理がこのクオリティなら文句はあるまい、と思うのです。


さて、翌8月24日からラーヒフへ移動したわけですが、結論から言うとこれは完全に失敗でした。写真としても成果はありません。

朝食も非常に楽しく頂けました。でも楽しかったのはここまで(苦笑)

昼過ぎの25列車でラーヒフに向かいますので、朝に宿で朝食を頂いたのちは昼過ぎまで部屋で休んでいたようです。

ヤシニャに到着から、一度も撮影していない早朝の普通列車の6403列車を撮影しようと目論んでいたはずですが、宿から出ていません。言うまでもなく、25列車の出発時刻までに357列車や6441列車を無理なく撮影できるはずでしたが…

前面の警戒帯が薄れて、草臥れた姿が非常に好ましいです。写真を見るに天気も良好ですが、この一枚しか撮っていません。

終点のラーヒフへは定刻で到着すると、上りの6404列車はすでに入線していました。

ラーヒフではEuropaというホテルに宿泊しましたが、まったくお勧めできません。タオルから異臭のするホテルはなかなか無いと思います。Booking.comのチャットを使用して、ホテルで自転車を借りることができると確認を取っていましたが、フロント(ベルを押しても係員は来ない)に聞いても要領を得ない返事。

ラーヒフはヤシニャと異なり観光地として栄えているようで、レジャー目的の人も多かったので、探せばレンタサイクルもあるのではないかと思いましたが、宿の質の悪さに閉口して士気が下がりました。


気を取り直して、翌朝は徒歩圏内で作例が上がっている場所へ向かいました。ラーヒフ駅北側の鉄橋の手前の空き地ですが、おそらく誰かの裏庭です。

2019.8.25 Білин-Рахів №6441

結果は、構図はイマイチ、おまけに被写体ブレ。ここでの撮影をなかったことにしようと思いましたが、牽引機(あるいは、「編成」と表現するのが正しいかもしれません)がここ2日間の2M62-1001とは異なるものと塗装であったので、恥を忍んで公開します。

ちなみに、2M62-1001もこのDPL-1 0021も現在は塗装変更されているようです。


さて、予定ではラーヒフに2泊する予定でしたが、ホテルがイマイチ&自転車が手に入らないのでどうしようかと考えた末、リヴィウへ予定より一日早く移動することとしました。

2019.8.25 Рахів №6404

そこで駅に向かうと、M62、しかも原型ライト車がホームに佇んでいるワケです。衝撃です。完敗。

6404列車は早朝の6403列車の折り返しで、前日に駅にChME3が止まっているのを目撃していますから、その朝に撮り逃している可能性がない事だけが救いです。

15時20分、ハリコフ行き16列車にてラーヒフを離脱。不貞腐れて1等車を予約し、リヴィウまでこのまま単身で使用となりました。

ヤシニャは良いところだったのに、どうしてこうなってしまったのだろうと思いながら車窓を眺めていました。ヤシニャにそのまま滞在していれば、M62を撮れていたのに、色違いのDPL-1を撮れていたのに、と。

ウクライナ西部最大の都市、リヴィウに予定よりも一日早く、到着しました。

これにて、ザカルパート州での撮影、終了です。


前回の旅行記⑦を公開してから1年以上が経過してしまいましたが、写真を振り返ると当時のことをよく思い出します。ただ、どうしてもっとシャッターを切らなかったのだろう、とも思います。どうして、ラーヒフ駅の奥に留置されているDPL-1編成の写真すらないのだろう。どうして、ヤシニャの宿の黒猫の写真がないのだろう、と思います。

2018年のシベリア鉄道の旅でもっとシャッターを切ればよかったと反省し、2019年のこの旅行ではその反省を生かしていたつもりですが、3年後に見るとそうでもなかった、ということです。この趣味を続ける中で、きっと、この後悔と反省を繰り返すことになるのでしょう。

2022年1月現在、気軽に海外渡航できる日は近そうにもありません。次に海外渡航した際は、もっとシャッターを切って、もっと構図を考えて、素敵な写真を残せたらと思います。


鉄道ジャーナル2019年10月と11月号にかけて、塩塚陽介氏による東欧鉄道紀行vol9と10でこの地域に関する記事があります。記事がいつ取材したものか不明です。後編では貨物列車が走っている旨の記載がありますが、2019年に訪問した管理人は、一度も目にしていおりません。

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