ご無沙汰しています(;^_^A
ここのところ、あまり撮り鉄の機会もなく、以前購入した叡山電鉄の一日中乗車券も仕舞いこんだまま。
さて、そんな状況ではありますが、中学・高校からの学友が祇園祭り宵山を見たいという事で、はるばる神奈川からやって来まして、到着日の14日午後と15日土曜の夜まで京都を散策して過ごすことになりました。
今回は気に入った写真を中心にまとめてみました。如何せん、京都の街並みを歩くのは初めてで、特に街並みに詳しくもないので気の利いたコメントは…お察しくださいm(_ _)m
友人氏と京都タワーで待ち合わせして、まずは京都大学へ。日立の樹みたいですね。これは何の木、クスノキです。
他の看板も面白いですが、割愛。この日は特に過激な看板はありませんでした。
京都大学から南下しながら徒歩で移動します。途中、鴨東運河を通過。レンズ的に、逆光耐性は微妙ですが、彩度を調整してやると発色はしてくれるので写りはしているんですね。
そして友人氏が気に入っているという南禅寺へ。とりわけ国の重要文化財でもある三門を勧められ、どんなもんだと思っていましたが、これは確かに素晴らしい。
望遠レンズの圧縮効果を味方にグッと一枚。鉄道や航空写真では微妙にポンボケしたり陽炎で像がボケたりしますが、やはり手持ちのレンズでは70-200mm f/2.8Lが最高の画質とコントラスト、最高です。
三門を抜けると法堂があります。緑のトンネルも圧縮効果の力を借りてますが、素敵な雰囲気です。
縦位置のカットは三門の石段から撮っていますが、一歩先に進んで木々の下から撮影。こちらも悪くないです。左上の赤い物体2本は背の高い木の幹ですが、現像の都合で赤色成分が目立ってああなってしまいまして(;´д`)トホホ
さて、南禅寺というと琵琶湖疏水の水路閣が境内に通っている訳です。以前、twitterで拡散されている写真を見たことがありましたが、まさか京都のそう遠くないところにあったとは、驚きました。
この日は時間の経過とともに雲が増えていましたが、丁度いい感じに雲の隙間から陽が射し、なんとも言えない不思議な雰囲気を醸し出していました。
過去に何度か訪れた、碓氷第三橋梁「めがね橋」のような整ったアーチを描いています。この南禅寺水路閣が1888年に完成、碓氷第三橋梁が1891年に着工していることを考えても、耐震工事前の完成したばかりの碓氷第三橋梁はこのようなスマートな見た目だったのでしょう(というか写真を見ると大変似ています)。
ここでは何枚もシャッターを切ったのですが、いざパソコンで確認してみると良いなあと思えたカットは数枚だけというお決まりのパターンでした。途中で日没だったので仕方ないといえば仕方ないですが。
しかし、世間が3連休に入る前の金曜午後でも他の人が居なかったので、気が向けばいつでも行けるんですが、まあ、それは。
さて、翌日土曜日は朝から出撃。目指すは八坂神社です。八坂神社の紋章がキュウリの断面だから祇園祭期間中はキュウリを食べてはいけないという由緒ある八坂神社です。私も友人氏も食べましたが。
境内は木が生い茂っていてとても雰囲気が良さそうなのですが屋台が出ていて雰囲気ぶち壊し感も否めない。まあ、お祭りだし仕方ないですね。
広角を買わずして撮ることはできなかった構図ですね。
八坂神社から少し奥にある円山公園で暫し休憩したのち、「ねねの道」を通りつつ南下します。
高台寺前大門から台所坂の一枚。
台所坂を上り高台寺へ。高台寺は日本庭園が綺麗との事でしたが、参拝料高いなあとここはパス。寺院で参拝料ケチると見るところ激減するんじゃないかという説もあるのですけど、高いものは高い。
軽く「高台寺 マニ車」と検索した程度ではなぜ設置されてるのかハッキリしなかったマニ車。
管理人は以前訪れた中国は黄龍・九寨溝で巨大マニ車回したことがある気がするのでそのご利益は継続中です(そんな訳ない)。
ところでマニ車ですが、黄龍・九寨溝(写真は恐らく九寨溝)には水力で回るマニ車がありましたが、「回転させた数だけ経を唱えるのと同じ功徳があるとされている」のに誰のご利益になるのだか。設置者か!?(苦笑)
さて、マニ車は兎も角として高台寺をパスしつつ二年坂(二寧坂)へ。写真奥の坂を進むと人は増えてくるし土産物屋も多く、「らしい」雰囲気の写真が撮れたのは高台寺賑店脇の階段を降り、道路を渡って直ぐのエリアだけか。
提灯の間に花が置かれていまして、色彩豊かだったのですけど腕が無いので提灯だけ…それでも下部の金や銀がそれなりのコントラストで良い気がします。
さて、二年坂を南下しつつ上ると清水寺に辿り着きます。清水寺の入り口は撮影禁止に加えて人も多かったのでパスしつつ、ここでも高いなあと参拝料を払って中へ。
木材で組まれた足場ですが、間に木が生えていてなかなかの雰囲気です。本殿内がとても暗く、外の明るさとの明暗差が(とりわけ安い広角レンズには)辛いです。
上2枚とも、10mmのワイド側ですがなかなか広さを表現するのは難しいと感じます。この10-20mmのレンズですが、安い割には歪曲収差が少ないように感じます。一方でヨドバシカメラで触った様子では8-16mmは収差が激しいように感じましたから、お遊びレンズとして使うなら収差の激しいレンズの方がひょっとすると広角でパースの効いた「らしい」写真は撮りやすいかもしれませんね。
奥の院からの有名なお立ち台構図。もう少し、本殿正面を写せる立ち位置があると思うのですが、手摺や伸びすぎた草木等障害物の入らない立ち位置が見当たらなかったので…
更に奥へ進んで子安塔へ。途中で本殿を正面から見れますが、足場の様子の全景が写せて良い記録になりそうです。
子安塔は光線の都合でなかなか満足いくカットにならなかったので今回は掲載せず、です。
音羽の瀧の横を通って本殿の下へ。広角、足らねぇなあ…8-16mm欲しかったけど、あれはお値段3倍だし高いなあ…(今更)
といったところで清水寺は一通り見たことになるので、アテルイ・モレの碑の脇を通るルートで外へ。
清水寺は坂の上にあるので、下りつつ国道1号線沿いをしばらく歩き、方広寺・豊国神社へ向かいます。
教科書でも有名な、「国家安康」「君臣豊楽」ですね。はて、誰が白枠で囲ったのだろうと気になりましたが、調べても分からず。まさか塗料ではないでしょうから、定期的に管理人が石灰などで書いているのかもしれませんね。
方広寺鐘楼の全景も良いカットがなかったので内部の写真でお茶を濁して…
少し奥へ進むとなかなか雰囲気のある稲荷がありました。手入れされていないのか、だいぶ色褪せていましたが(;^_^A
そろそろこの時間になると光線も厳しくなってきましたが、南禅寺から移設されたという唐門。
なかなか装飾が施されていて、豊臣秀吉を祀る神社ですから、内閣府のマークでお馴染み五七の桐の紋章も付いています。五七の桐の下に菊の紋も付いていますが、詳しいことは知りません。調べても理解できません(;´д`)
午前中は京都の東側を観光して、夕方は宵山を見に行こうと決めていたのですが、午後は割とノープランで出発したので、じゃあ何をするかという事で、嵐山へ向かうことに。
烏丸七条のバス停から嵐山まで京都バス73系統に乗車。
暫くバスに揺られ、嵐山に到着。嵐山といえば、渡月橋。すぐ目の前にあります。
ちなみに、渡月橋は午前順光です。今回は午後からだったので、逆光でした。強めに編集して、なんとか見れる写真になったかな。
洛西用水の一部でしょうか、なかなか雰囲気が良かったです。川下りに使う船が係留されていました。
辺りを見渡すと、なにやら鳥居が見えたので向かってみました。櫟谷宗像神社というそうです。木々の隙間から見えた鳥居はとても寂れて見えましたが、近づいてみるとそうでもなく、隙間から射す太陽も相まってとても綺麗でした。
神社を降りると、保津峡の奥の方へ道が伸びていたので歩いてみます。ところどころに英語や中国語で明らかに外国人向けの絶景が見れるという旨の看板が立っています。
戻る際に撮ったものですが、川沿いに雰囲気の良い歩道が整備されています。
途中、小さな滝があったので撮ってみました。なかなかの雰囲気です。
管理人の使っている24-70mm f/2.8と70-200mm f/2.8は風景写真や(特に森林のなかの)滝や川の写真を撮っていた祖父から貰ったものです。いわゆる風景写真は沼が深そうなので管理人は…遠慮しておこうかな(苦笑)
暫く歩くと、川が大きく曲がるので渡月橋が見えなくなります。歩いてきた歩道も目立たず、一気に山奥に来たような錯覚を覚えます。ほんの数十分のウォーキングでこの景色は最高です。
保安林の標識をみたのは久々です。こういった標識、「萌え」ですね。
さて、歩く事20分程でしょうか(木陰の中のウォーキングは涼しく、風景も大変綺麗でしたので時間を気にすることなく気持ちよく歩けました)、整備されている遊歩道の終点に着きます。(注:この写真の順番は時系列に沿っていません)
最終的に、遊歩道は入口らしきものと左上に逸れる道に分かれ、側道を上った位置に大悲閣千光寺があります。参拝料400円。
道中の遊歩道には景色がいい旨が書かれていましたが、この通りの景色。写真ではイマイチですが、肉眼では確かに京都の街並みを眺めることができます。夏は大気も揺らぎますし、秋の紅葉シーズンが一番綺麗かもしれません。
今回の記事では趣旨から外れる気がしたので拡大写真は載せませんが、左下に嵯峨野観光鉄道の線路とトンネルが見れます。山陰本線旧線時代からそのまま使っているのでしょうが、レンガ積の、古そうな隧道です。
さて、千光寺で一休み(と言っても山の中腹なのに無風でとても暑い)したのち、元来た遊歩道を戻ります。時刻は15時半ということで、京都に戻るにしても日没まであまりに時間がありますし、不快指数は最高なので阪急嵐山駅から一旦撤収して自宅に戻りました(^^;)
そして八時前に京都の町に戻ってきました。静かだった保津峡とうって変わり、喧騒の宵山です。
私の通っていた学校では中学で京都に来る機会があるり、宵山は行程に一部でしたが、管理人はそのころ広州に住んでいて祇園祭りも宵山も初めてです。
特にこの山車を見たいという事もなく、流れに身を任して進みます。
よく見ると、スポンサーの広告になっているのですね。
夜間に写真を撮る機会はほぼ皆無なので、どのように写真を撮ってやれば良いのかわかりません(汗)。
これが、大都市の夜景なら話は違いますが、そこまで明るくない提灯と煌々と照らされる街頭がそこら中に立っているようでは難しい…
管理人は方向音痴ですし、祇園祭り来るのも初めてでどちら方面に進んでいるのかさっぱり不明ですが、この写真を撮った位置が恐らくメインストリートだったかなと。
今回の京都観光は友人が宵山を見たいという事だったのですが、滞在時間はなかなか短かったですが、まあ、混んでいたけど雰囲気は味わえたし、管理人としても文句なしです。いや、混雑しているこの雰囲気こそが祇園祭り宵山の雰囲気なのかもしれません。
といったところで、最初に記事を作成してから2週間も経ってしまい、例によってオチのない記事になってしまいました…(;´д`)トホホ。ブログタイトルの通り、管理人が後で見直して懐かしむ備忘録なので大目に…
閑話休題。
さて、千光寺まで歩いた遊歩道ですが、一番奥に星野リゾートの旅館があり、その為に(整備された道は)行き止まりになっています。しかし星野リゾートの為に歩道を整備するというのも変な話で、何かと思い地理院地図を確認してみました。
まず、この場所の星野リゾートは古い温泉を改築したもので、現在の旅館の位置に温泉記号は大正14年発行の地図で初めて現れます。温泉記号は明治17年から登場するので記入漏れでなければ星野リゾートの位置に温泉施設ができたのはこの頃でしょう。
しかし、大正1年発行の地図では温泉もなく、温泉より先に道路は書かれていません(ちなみに、大正14年地図では温泉より先に徒歩道が1km程延長されています)。
そんな訳で、どうも左岸の徒歩道は千光寺の為に作られていたもので、大正14年地図で反映された温泉施設の為に恐らく拡張工事でも受けたのでしょう。その時、元々千光寺へ行く山を上る道は放置された、と想像できますね。
どうも、インターネットにある数少ない記事を読む限りだと現在ではトロッコ保津峡駅まで歩きとおすのは厳しい(そもそも川沿いと駅では高低差がある)ようで、面白半分で行くところではないなと。ただ、うまく行けることができればトロッコの写真…撮ってみたいですね。
といったところで、ではでは。