こんばんは
また暫くご無沙汰してした間に、学校は新年度が始まり、管理人も1つ上の学年へとなりました。これでますます学業に勤しまないといけないなぁと思いますが、なにもブログを更新していない理由は学業ではなくバイトで忙しいというのが本音であったりします。
さて、タイトルは春休み企画ですが、当たり前のように春休みも終わっています。が、まだこの企画で一本記事が残っていますので、そのうちに更新します。
では、本題に入りましょう。
さて、こちら東武鉄道はスカイツリーライン…の先のほうにやってまいりました。
やってまいりましたのは、群馬県は細谷駅です。群馬県といいましても、利根川を挟み直ぐ目の前が埼玉県となる位置です。
八高線などに乗車するとわかりますが、高崎駅も実は埼玉との県境からそう離れていないと気づきます。
この記事のカテゴリからして撮り鉄ではないのは明らかでして、目的はこちら、中島知久平邸です。
正確には、太田市中島知久平邸地域交流センターと呼ばれる場所で、かの有名な中島飛行機(現、富士重工)の創設者・中島知久平が両親のために築いた邸宅です。
行ってから気づいたのですが、明治時代の建築物に興味関心がないとあまり楽しめない場所ではあるのですが、その佇まいは個人宅とは思えないものです。
このような、家紋の彫物は建物の至るところに見られます。
入り口の横に作られている「小祀」だけでも、今の感覚でアッと驚くクォリティ、そして値段のものとなるそうです。
邸宅全体を通じて言えることですが、如何に中島知久平が両親を思い、建築を依頼したのかがうかがい知れます。
生憎、建物内で公開されている箇所はそう多くはなく、廊下一本とそれに面する部屋(内、玄関含む)のみが公開されていますが、中庭の先に見える反対側の建屋など、この邸宅の造りを垣間見ることが出来ます。
印象としましては、大分県は日田市豆田町の天領日田記念館に近い雰囲気を感じました。
ステンドグラスなど、随所に雰囲気良く装飾されています。
こちらのライトとスイッチ、おおよそ普通のものに見えますが、建築当時からの「オリジナル」だそうです。なんでも、中島知久平邸は「オール電化」だそうで、写真にはありませんが、加湿機能付き電気ストーブなどもあります。
先に書いたとおり、中で見物できる箇所はそう多くないので外に出てみます。
自分は建築物については素人ですので、エラそうなことは書けないのですが、この建物は回廊式の構造をとり、中庭を囲んだ「ロ」の字型となっているので、ここにはその一角が写っているわけです。
また、見えている部屋の障子には利根川の氾濫によって浸水した跡なども残されています。
外の庭は丁寧に整備されており、訪問した日も庭仕事をしている方が居ました。
さて、建築物に詳しくない管理人がわざわざ遠く群馬まで出向いてきた訳はこの企画展示にあります。
こちらでは、幻の飛行機「富嶽」旅客機仕様のラジコンが展示されています。
写真からは、なかなかサイズの感覚がわからないのですが、豪邸の一室をほぼ埋めてしまうサイズと表現すれば通じますでしょうか?
作成されたグループの方のご好意で近寄らせて撮影させて頂きました。
六発飛行機「富嶽」の計画されたバリエーション、爆撃機仕様、輸送機仕様、旅客機仕様ではそれぞで全長は勿論、主翼の高さなども違うそうです。
「富嶽」に爆撃機以外のバリエーションが存在することは知っていましたが、尾翼の形状、主翼の位置は勿論、全長までも違うとは知りませんでした。
模型用のガソリンエンジンは勿論六発装備されています。六発とも始動させるのは何気に大仕事だと仰っていましたが、同時に飛行したときの音も良いものだそうです。
さて、展示も一通り見たところで帰るのですが、タクシーを待っている間にそとの景色を一枚だけ、撮っていました。
建設当時からある塀かは失念してしまいましたが、中島知久平邸の二階からは利根川の河川敷から飛び立つ中島飛行機の航空機の姿が見られたそうです。
今では利根川の堤防ああるので叶いませんが、見てみたいものです。
いつもとおり、帰宅時の一枚、鉄道写真ですね(苦笑
「前パン」は素敵です。
〆に、利根川を越えた際に見えた堤防の菜の花の写真を一枚。
というわけで、最後の菜の花の写真の様に、春らしい、暖かい日に中島知久平邸を訪れることができ、また、ラジコン「富嶽」を作成された方からのお話も聞くことが出来、大変充実した一日だったなぁと思います。
ここ、大田市にはまだまだ中島知久平は勿論、第二次世界大戦に関連する場所があると帰りのタクシーの運転手が仰っていたので、時間に余裕ができたときにまた訪問したい場所となりました。
ではでは。