3本に分けた「春ウラジオストク遠征」今回が後編で最後です。途中、梅雨の京都に出掛けたり、地元で写真を撮ったことを記事にしたり、かなりの間が開いてしまいました。
今回は、ウラジオストク到着翌日に目撃した「丸顔エレクトリーチカ」ЭР9ПК-328を沿線で仕留めたいというお話です。
ウラジオストク到着翌日にSanatornaya駅まで乗車した列車は、ウラジオストク駅を12:45に出発するナデシュジンスコエ行きの6321列車でした。では、12:45より前にウラジオストク駅に到着する列車となると、10:46に到着する6403/6405/6406列車の次は12:06に到着する6372列車があります。
撮影地は、チャイカ駅で下車し、ウラジオストクの方へ少し歩きます。右後方の変わった建築が入る辺りです。線路脇の崖に、視界の開けたいい感じの平場があります。
どうでもいいですが、上から見ると円形のこの建築は、アレクセイ・V・ジルムンスキー名称国立海洋生物学センター ロシア科学アカデミー極東支部、というもの。ロシアらしい名称で素敵です。
そして、11:45頃にやってきたのは、「丸顔エレクトリーチカ」ではなくて、8両編成の立派なED9MK
時間的に丁度良いと狙いをつけた列車ですが、これはウスリースク始発の列車です。よく考えると、ER9の運用ではないのは当然です。
しかし、先に到着する列車でナデシュジンスコエ始発の列車は無いので、良く分かりません。普通に考えれば、ナデシュジンスコエから折り返しでウラジオストクに戻ると思いますから、目撃当日の008Н列車撮影の際に無理をして撮影していれば良かったです。ホテルに荷物を置かず、持ち歩いていれば撮れていましたが、後の祭りです。
折角来たのですから、撮影は続行です。こちら、一見、普通の貨物編成ですが、白い塗装から推察されるとおり、冷蔵貨車編成です。ただ、日本には見られない興味深い仕様です。
ロシアの空調貨物について何か書こうと思いましたが、それではいつまでも更新できないので、番外編として気が向いたら単独のエントリーを出したいと思います。
光線がかなり厳しくなってしまいましたが、008Н列車。今日もロシア鉄道標準色でした。残念。
ウラジオストク駅に戻りました。思えば、駅構内の写真をマトモに撮影していません。
シベリア鉄道のオベリスクは有名ですが、オベリスクのあるホームに降りる階段は封鎖されているので、一旦、駅舎を通らなくてはなりませんが、重たいカメラバッグを背負っていると駅舎に入る手荷物検査すら面倒…とスルーしてしまいます。
既に何度も来ている気がしますが、駅の裏に見えるルースキー島連絡橋は非常に美しい橋です。
いつも停泊しているウダロイ級駆逐艦も良いです。
これまでの旅行では、広角写真ばかりだなと反省しているので、今回の旅では標準ズームで風景を撮るように心がけました。
この、2月のウラジオストク遠征から記事を書くまでに既に半年近く経過している訳ですが、改めて見ても、単に港の風景を広角で撮るより、こういった写真の方が「らしい」かなあと思えます。
2020年の2月と言えば、新型コロナウィルスが流行の兆しを見せていた頃ですが、この日の管理人は午後からかなり体調が悪く…
ただ、何か食事をしなくては回復もしないだろうし、ジャンクフードが食べたいなあと、レビューの高かったピザのファストフードに入りました。頭痛がひどい…と思いながら、ピザ屋の道中撮った一枚。
朝イチのアエロエクスプレスで空港に向かう為、早起き。前日夜はあまりの体調の悪さに、持参した風邪薬を飲んで就寝。万全ではないものの、まあ、悪化はしていなくて安心した記憶があります。
ルースキー島連絡橋を背後に昇る太陽に照らされる街並み…は非常に良いです。HDR調の現像は、いざという時に使うものですね。
帰国前にもう一度、港を眺めてきました。
左に映り込んでいる貨物船、クナシリという船名でした。これが停泊していなければ撮影の自由度が…とは思ったのですが、ついに停泊したままでした。
アエロエクスプレスといっても、各駅停車ですから、途中駅までの乗客で混んでいたように思います。
混雑といえば、初めてウラジオストクを訪問した一昨年は、列車の空港寄りの車両がビジネスクラスみたいな感じだったのですが、今もあるのでしょうか。わざわざ運用を区別してるようには思えませんが…
空港について、保安検査も抜けるとターミナルの窓からIL-76が見れました。
ところで、アルロサ航空のTu-154まだ飛んでいると思っていて、それもイルクーツクだかノボシビルスクとかお手軽な場所から乗れると記憶していたんですが、調べたら737やらAn-24がアサインされていますね。
ヨレヨレのプロペラ機は案外、まだ乗れるんです。昨年の遠征でも乗ろうかとも思ったのですが…しかし、ソビエトジェットは手ごわい。
乗るのは西側製のA320。などという事を書いていると、昨年の旅行でアエロフロートのスホイスーパージェットに乗れるはずが、機材変更でA320だったのを思い出します。
成田空港からは電車を乗り継いで新宿へ、そこからロマンスカーで本厚木に向かいました。乗り換えて、自宅へ。
相変わらず体調は優れませんでしたが、2月末の時点では空港は検温だけ。自己隔離などで帰国が大変になったのは、まだあとの話です。
記事を書くのに時間が掛かりましたが、これにて2020年2月のロシア旅行記終了です。
まさか、ウラジオストク旅行が当面の間で最後の海外旅行になるとは夢にも思いませんでした。また秋に行きたいですね、次はキャンプですかね、なんて言っていたのが夢のようです。
記事中で書いていると思いますが、同行者の方が韓国で乗り継ぎでしたので、出入国ができるかどうか!みたいな事を言っていたのが何か別の話のようです。この半年で、アジアどころか世界的に、何もかもが変わってしまいました。
しかし、一昨年や昨年の長旅や、このロシア旅行のような、事前に計画を立てて旅行に行く、というスタイルの旅行は、今でも行けると思いますし、今後もできるはずです。検査や隔離の時間を見込んで計画を立てるのは、今後のスタンダードになるのでしょう。
元々、突発的に台湾や香港に行って…という旅はこれまでも無縁でした。計画の中で旅をするのは今後もできる、はずです。でも、コロナがあると何かが違うように思います。
要するに、「みんなが外国に行って、みんなで競い合うようにSNSに投稿する」というのが楽しかったのかもしれません。
私も、岩手旅行に行ってきたばかりです。SNSでは、今度は競い合うように国内旅行に出掛けているのです。要するに、同じ趣味の人間が競い合うように何かに興じるのが楽しい、そういう事なのだろうな、などと思いました。