南東岩手旅2020-前

前回のエントリーで少し書きましたが、岩手旅行に行ってきました。私は茨城県大洗から北に行くのが初めてで、東北地方に足を踏み入れるのも今回が初めてです。

出発日の8月22日は大学のオープンキャンパスでした。私のキャンパスでは、どうしても「密」になるということで、オープンキャンパスはオンラインでZoomを活用した開催でしたが、キャンパスでの手伝いに出た後、一旦帰宅してから伊丹空港を17時に出発するJAL2187便で花巻空港を目指します。

2020.8.22 ITM-HNA JL2187

飛行機は、どうしても頻繁にトイレに立つのでいつも通路側ですが、今回は空いていたので久々に窓際に座りました。雲の抜けて、青空の中を飛んで、そして日没前の花巻空港に着陸する様子はかなり新鮮です。

到着日は空港近くの「ルートイン花巻」投宿。近くに食事できる場所もあって良いです。本当は花巻温泉に泊まりたかったのですが、花巻温泉行きの岩手県交通が伊丹17時の飛行機に接続していないのが残念です。タクシーに乗ったり、宿に行くために前日からレンタカーを借りるのも割に合わないなと思うところです。


翌、日曜日はお目当ての路線はどうせ運休です。折角の初訪問の東北ですから、寄り道しながら目的地の大船渡を目指すこととしました。

まずは、レンタカーをピックアップして、大船渡とは反対の、北上市方面に向かいます。

北上市というと、旧和賀川水力発電所です。今回は単身なので廃墟には入りませんが、手前の橋くらい見ておこうという魂胆です。

2020.8.23

橋はメンテナンスされている雰囲気で、踏板が無いとはいえ肩幅程度の幅しかなく、両端がL字のアングル材で足場は確保されているので渡るのは容易に思えます。

渡った先のルートが不明瞭であることと、廃墟探索のことを親や知人に伝えていなかったので、今回は渡らず、眺めるだけ。


橋を一通り眺めて満足したのちは、国道107号線を東に進み、田瀬湖の南端から岩手県道178号線を北上して田瀬ダムへ。

ダムはちょこちょこ訪れていますが、なんとなく見て回っているだけで、ダムカードは集めていません。現在はそもそもコロナでダムカード配布していないのですが、ダムカード集めていないのはやや勿体ない気もします。

発電所の橋はネットで写真を見ていたので、案外、渡れそうだなというイメージを持っただけでしたし、この後紹介する早瀬川の岩手軽便鉄道の痕跡も見る予定でいたのですが、予備知識無しで驚いたのが、田瀬ダム下流の木橋の残骸。

現在の釜石線は岩手軽便鉄道のルートをなぞっていますから、ここには通っていない。なんだろうと調べると、田瀬ダム建設時の構造物のようです。

鉄道も敷設され、岩根橋駅からの骨材やセメント設備が整えられたようですが、60年代の航空写真ではこれは鉄道ではなくて路面が白く、道路のようにも見えます。ただ、コンクリートの橋脚の上に木橋を掛けて道路って、あまりイメージ沸かないです。工事が完了し、交通量が減ってから線路を剥がして手直しでもしたのでしょうか。


釜石線 普通 660D 柏木平-宮守 宮守川橋梁

田瀬ダムを見物したのち、すぐ近くの道の駅宮守で昼食休憩。

丁度いい時間に通過する釜石線の普通列車があったので、撮影しました。宮守川橋梁は岩手軽便鉄道の橋脚が手前に残されています。現地に来るまで、当時の橋脚が残っているのは知らなかったです。

釜石線の別の橋脚では、煉瓦製の橋脚を包み込むようにコンクリートを打設したものもあるようです。

この前の週まではC58の蒸気機関車が運転されていましたが、残念ながら今シーズンの運転は終了していましたのが心残りです。もっとも、途中まで天気も優れなかったので、及第点です。


宮守から国道283号線を東に進み、遠野市内は国道340号線を、釜石線岩手上郷駅の手前辺りで再び国道283号線に復帰して、仙人峠を目指します。

その前に、釜石線足ヶ瀬駅を過ぎた辺りで路肩に寄り道して、防砂ダムで早瀬川が堰き止められている辺りの河川敷に降ります。

幻想的な風景。ダムの内側なので、正直かなり怖いです。足元も完全に乾ききってはいない。

砂防堰堤本体の方に目を向けると、水面から岩手軽便鉄道の足ヶ瀬橋梁の橋脚跡が顔を覗かせています。

少し水位が高いようです。あと1メートルないし50センチ程度でも水位が下がっていれば、また雰囲気が違いそうです。

動物の足跡を見つけたので、ビビッて速攻で撤収。


砂防ダムから少しだけ北に進むと、仙人トンネルの南口に辿り着き、ちょっとした広場があります。

この道路が有料自動車道だった頃の名残かとも思いましたが、当時の記録映像でもただの空地のようです。

別に空地で休憩したのではなくて、空地の山側に岩手軽便鉄道の終点、仙人峠駅の名残が残っています。

コンクリートの擁壁の上に、ゴロゴロと石が盛られて平場が作られています。廃道や廃線探索の某有名サイトを始めとして、一般にこれは岩手軽便鉄道の廃線跡とされていますが、どうもおかしい。盛土の斜面をコンクリートで補強するのは近代的な土木のイメージがあります。岩手軽便鉄道の廃線跡なら、上から下まですべて石積みなのでは?という疑問を現地で感じました(下調べせずに訪問しています)。

広場は地主の家の跡地で、コンクリート製擁壁は民家裏の土留めだという考察がありました。土留めのコンクリート擁壁なら違和感は減少。しかし終点なのになぜ線路が地面から2メートルも嵩上げされた民家裏の盛土を走っているのかという疑問が沸きます。しかも、平場は先に訪れた足ヶ瀬から続いているらしい。

疑問は当時の写真を見れば解決しそうですが、仙人峠駅の写真がどうにも見当たりません。

仙人峠駅は戦後まで残っている筈で、仙人峠自体も、釜石線の開通まで現役の峠だと理解しているので、写真が見当たらないのは不可解に思います。

また、アイオン台風で不通になった国鉄山田線の代替として釜石線が工事された経緯があれば、もっと写真残ってそうなのですが…

ところで、ネットには、駅舎を映した不鮮明な写真が紹介されていますがこちらの写真は見当たらなかったので紹介します。大正4年発行の「岩手軽便鉄道案内」(リンク先国会図書館のデジタルライブラリー)に駅を俯瞰した写真が見られます。

(上画像:植田啓次「岩手軽便鉄道案内」, 成文社, 大正4)

画像右奥まで線路が急カーブを描いて伸びているように見えるのが気になります。でも、主な線路は明らかに現在の道路と同じ場所に敷設されています。民家(画像右手に、うっすらと三角屋根が見えています)の裏は完全に山で、土留説は正しいのでしょう。

では、なぜ土留の上に平場があるのか疑問が残ります。なにも解決しません。

何も解決しませんが、広場の写真に戻ります。仙翠峡観光株式会社は有料道路だった頃の運営者なのでしょうか。これも調べても出てきません。

右の白っぽい棒には「岩手軽便鉄道」とだけ書かれています。解説パネルが求められますね。


少し進んで、釜石鉱山の選鉱所跡を見物に向かいます。

今回は選鉱所跡だけ見て満足しましたが、釜石鉱山に関連する施設跡には解説パネルが設けられている(らしい)ので、もっと時間を取っても良かったです。光線も悪かったし、時間が迫っていたのであまり見て回れていません。どこかにバテロコがあるらしい。


選鉱所跡から進んで、陸中大橋駅の遺構に来ました。

特に知識がないので気の利いた感想は無いのですが、こちらの釜石鉱山のトロッコは80年代まで残っていたので比較的写真が豊富です。トロッコといえば、中国の有名な芭石鉄路の近くの沫江煤電は行きたかったなと思います。

ブログを書いていてふと、家族旅行で行った台湾で似たような施設を見たことを思い出しました。

線路の両側に市場のあることで有名な平渓線の菁桐駅です。日本統治時代のものらしいです。

この時は平渓線に乗りに来ただけでしたから見ていませんが、駅周辺には当時の炭鉱施設が保存されているようで、トロッコの線路跡も残っている様です。

もし、また機会があれば見てみたいものです。

この積み込み施設はホッパーの上部も丸ごとコンクリート製ですが、陸中大橋のものは木製だったようで、今は足の部分しか残っていないという具合です。


陸中大橋駅にて寄り道は終了。陸中大橋駅から大船渡への移動では、上有住から日頃市へ抜けようと岩手県道167号線を進んでみたら熊を目撃して慌てて引き返し、釜石仙人ICから釜石自動車道と三陸自動車道を利用。ペーパードライバーで高速道路など教習所の高速教習以来でしたが、がら空きでしたので難なく乗れました。

大船渡初日は、無難にルートイン大船渡に宿泊。翌朝の撮影地の下見に行って、夕食を食べて、ホームセンターで脚立を現地調達。


大船渡市内の写真を撮っていないので、拙い文章にはなりますが、初めて震災から復旧している街を見た感想としては、どこもかしこも工事中だなあと思いました。防潮堤が歯抜け状態だったので、10年たって防潮堤すら完成していないのかと唖然としましたが、陸閘が開いているから歯抜け状態に見えた…と思いたい。ただまあ、2020年5月に陸閘を整備した会社の完成報告が出てるので、ひょっとしたらまだ工事中の個所もあるのかしれないし、10年経ってようやく陸閘が完成したという見方もあると思います。

大船渡の湾(久慈湾)の巨大防波堤は完成しているというのは述べておくべき点だと思います。

三陸自動車道からちらちらと、綺麗な防波堤・防潮堤の裏に広がる街の景色が見えて、これが復旧した姿かと思って大船渡に着いたら完成しているのかしていないのか分からない光景が広がっていたり、隣町の陸前高田市は結局、訪問せずに終わったのですが、そちらは大規模にかさ上げ盛土工事を行いましたから、また違った景色が広がっているのだと思います。

東北地方に親戚など居らず縁が無かったので沿岸部の様子など興味も無かったのですが、実際の光景は見ておくものだなあと、今更ながら思いました。


兎に角、初めての東北で、初めての岩手で寄り道しつつ花巻から大船渡を目指したお話でした。翌日、8月24日から26日にかけて3日間の岩手開発鉄道の撮影記事は後日更新します。

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