南東岩手旅2020-後

シルバーウィークの前から土日にかけて四国旅行に行きました。これは非常に満足できるものだったのですが、先月の岩手旅行が未完成ですから、まずは順番に…と思います。

前回紹介した、釜石鉱山見物や国道ドライブも非常に楽しかったのですが、今回の旅の目的は岩手開発鉄道の撮影です。ツイッターのフォロワーさんが以前から岩手開発鉄道が良いという事を言っていたので、避暑もかねた東北旅行のメインディッシュに最適だということで選んだ場所です。

あまり距離の無い路線であることに加えて、川や崖に沿って走ったり、多くの区間で盛土上を走るという事で撮影地の選択肢は多くなさそうだとは分かっていましたが、数日を掛けて一通り撮影地を回る目論みです。

撮影前日の夜にホテルで休んでいると、海外鉄道趣味のフォロワーさんがちょうど大船渡に来ているからご一緒しないかとお声掛けを頂いたので、当日は私のレンタカーで移動することになりました。

2020.8.24 長安寺-盛 8:27

まずは、朝の早い時間で唯一順光になると思われる盛川の松木渡の河川敷に向かいました。前日にロケハンに来て、脚立まで現地調達したのですが、結果は微妙です。

編成長に対して橋の長さが足りていないのは来る前から分かっていましたが、これは案外、気になりません。ただ、編成後部の住宅はどうしても目立つように思います。60cmの脚立を買ったのですが背が足りていないし、もう少し手前まで引いて左端の看板(川を渡った角にある百均のセリアです…)を隠すべきでした。

日頃市-長安寺 9:48

次に、日頃市寄りの定番撮影地に向かいました。朝から晴れたり曇ったり不安定な天気で、到着時は曇り、待ってる間に晴れてきて、怪しい位置に雲が流れて来るいつものパターン。

寸前で曇って残念に思ったところで雲が移動を始めて良かった良かった、とはならず途中で力尽きてピンポイントにマンダーラ。そうはいってもこれは、3日間の撮影でも気に入ったカットのひとつです。

ここでの撮影後から曇ってしまい、光線の都合もイマイチなので長安寺の行き違いを撮るなどしてから、午後は他の街へ移動するというフォロワーさんとは昼前に日頃市駅で別れました。

長安寺-日頃市 16:37

赤崎-盛間のカーブや板用橋の辺りでいろいろと撮ってみましたが、不安定な天気は午後になっても続き、曇られたり、直後に晴れたりとお馴染みのパターンを繰り返した一日でした。

これまでの撮影は基本的に鉄道移動+徒歩でしたが、今回はレンタカーがあります。冷房もあるし充電もできるので待ち時間は別に苦ではないのですが、撮影旅行に来ておいて、レンタカーの車内でスマホを触りつつ待つのはこれで良いのかという気持ちになります。

宿のチェックイン時間もありますから、最後に切り上げるかというところで何とか、晴れカットを得ました。ただ、光線はやや薄め。


これが、宿に向かって山間の沿線から10キロほど南の大船渡丸森の辺りまで運転すると晴れているのが納得できないのですが、山をひとつ以上越えた先の天気なのですから仕方ありません。

初日はビジネスホテルでしたが、2泊は「大船渡温泉」という宿に泊まります。ここでは海の見える部屋を予約していたのですが、期待以上でした。

私は地元が神奈川ですから、湘南や江の島の海(…は地方の憧れでしょうか)や、鉄道趣味では根府川の海、横浜や横須賀は暇なときにちょこちょこと訪れていましたから、海は割と身近だと思っていますが、こういう、港の景色は別格でなにか憧れのようなものがあります。京都丹後半島の伊根に泊まりたいのですが、あれは単身ではなかなかハードルの高い場所です。

食後に温泉に入って、屋上に上がってみました。三脚を立てて、バルブ撮影。実に素晴らしい星空です。

カメラの画面に映る星空と、その先に暗い星空を見上げていると、柄にもなく、宇宙旅行に行けたら良いなあなんて思ってしまいます。

以前に書いたかもしれませんが、家族旅行でマレーシアのペナン島に行ったときか、その帰りだったか、飛行機の中から、満天の星空を見たことがあります。言葉には言い表せなくて、夢でも見てるんじゃないだろうかと思って、両親にも言わなかったと思います。

あれが現実に見た光景なら、もう一度、機内で星空を見たいのですが…幼い頃の記憶は曖昧で、悲しくなります。


素晴らしい星空を楽しんだ翌日の朝は晴れたのですが、すぐに曇ってしまいました。

撮りたい構図は雑草で遮られてダメだったので、適当にお茶を濁しましたが、これはこれで、ちょうど前照灯も点灯してるし、運転士も沿線で草刈りしていた保線員に挨拶していて雰囲気は良いです。

背景が緑だと、紅葉の時期はどんなに綺麗だろうかと思うのですが、木々の何割が落葉樹なんでしょう…

2020.8.25 日頃市-長安寺 11:06

日頃市駅 12:22

駅には前日も来ていますが、ちょうど来た時間帯は晴れ間が出ていて逆光だったので、改めて来ました。

2019年の6月までは写真右手に客扱いしていた時代のホームが残っていたようなのですが、今では跡形もありません。撮影の都合としてはホームが無い方が良いのでしょうが、昔の痕跡が消えてゆくのは、身勝手な趣味人の感想としては記録に間に合わなかった気がして残念です。

岩手石橋駅 13:32

そのまま北上して、終点まで来ました。作業員に声をかけて奥のスイッチバックを撮るのも億劫だったので、一応車道らしき場所です。まあ、ここは既に私有地なのかもしれませんが…

岩手石橋に入線する列車は機関車が先頭です。スイッチバックに入って、推進運転で貨車をホッパーに押し込み終わると、機関車だけ切り離して編成の後ろに向かいます。推進運転で発車して、スイッチバックで機関車が再び先頭に戻るという具合です。

構内はなかなかの速度で走っています。パッチワークのようなホッパーと青いトタンと、青い車体が良く似合います。

夕方になって晴れ間が出てきたので気になっている撮影地に足を運びましたが、一発は構図ミス、二発目は曇られて2日目終了。宿に戻ると晴れています。

この大船渡温泉、景色は最高です。大船渡温泉という名前で風呂は海に面してはいますが、微妙です。


2020.8.26 盛-赤﨑 9:53

大船渡の最終日は朝から快晴でした。大抵は、最終日に晴れるとか、翌日に晴れるのがお決まりです。

この踏切には実は前日にも来ていて一応晴れたのですが、雲が多かったので、こちらの方が良い写真です。ちなみに実は初日にもフォロワーさんと来ようとしました。アクセスが怪しい踏切です。

日頃市-長安寺 10:21

ここも初日にも来ていますが、もう一度足を運びました。このような直線構図はかなり好みです。初日のように脚立に乗って撮るのと、普通にアイレベルで撮るのどちらが良いか自分でも決めかねますが、これはこれで。ド定番構図で前照灯が非点灯だとやや微妙な気がします。なんとなく、脚立に立って一捻り加えると、非点灯でもまあ許せます。

改めて写真を眺めていると、後ろの木々が紅葉してからまた再訪したい思いが高まります。

このトンネルは前日から探していました。

農作業中の方にお話しを伺って、教えて頂いていたのですが、既に光線が駄目だったので、翌日来ますと言って、その通りにしました。

トンネル抜きの構図は結構好きですが、自分で挑戦したのは初めてな気がします。なかなか良いです。

11:10

赤崎-盛 13:03

ここは定番撮影地。初日に散々曇られてメゲていましたが、最終日に無事回収。慣れもあるのでしょうが、個人的に構図の難しい場所でうまく撮影できた安心の方が強かったです。構図はそれほど好みではありません。

10時前に撮った赤崎行きと同じ橋です。赤崎行きは前照灯点灯で盛行きは前照灯非点灯は良く分かりませんね。積載しているから点灯、空だから非点灯ではないようです。

14:34

地図を眺めて、ここは撮れるんじゃなかろうかと訪問が楽しみだった場所。前日も来ていますが、望み通りの写真を晴れで撮れて、これはもう、非常に満足です。

久々に、自分、撮り鉄楽しんでるなあと思いました。久々にといっても、2月のロシアも楽しかったですから、海外での撮り鉄と国内でも同じくらいワクワクしたという訳です。


午後まで撮影をして、大船渡から花巻までどのくらいで戻れるのかというのは大きな懸案事項でした。岩手県道180号線で上有住まで出て、そこから釜石自動車道を無料区間が終わる東和まで乗って、あとは下道で戻ってナビの案内通り1時間半程度とあっという間でした。

午後ですから、花巻に戻る車が多いのかななんて思いましたが、釜石方面の車はそれなりに走っているのに、花巻方面は視界に車が一台も入らない状態がしばらく続いて驚きました。ちょうど、NHKラジオの歌番組が鉄道ソング特集だったので、高速道路を運転するテンションも上がりました。

最終便の飛行機で伊丹へ。伊丹への到着が20時半ですから、そこからモノレールと阪急電車を乗り継いで戻るのは旅の最後に些か疲れてしまいますが、無事に帰宅して4泊5日の岩手旅行のおわりです。


ところで、撮影初日に地主の方とお話しをする機会がありました。お話のなかで、自分達は200年くらい土地を持っている、そういう土地だから、手間はかかるけど田畑を維持していると仰っていました。

しかし、大船渡ですから、港に行けば漁師の方は船を「定期的に」流されている訳です。津波で被害を受けた漁師と被害が比較的少ない農家、或いは、歴史のある農家と、歴史を持たない漁師で震災後に軋轢が生じなかったのだろうかと思って後日、ゼミの地震学の教授に尋ねてみました。

曰く、農家は土地が財産だけど、漁師は船が財産だと。大船渡を含む三陸の漁業は、商業的に成功しているから国の支援も充実している。だから漁師は船さえあればそれで良くて、軋轢がないわけではないだろうけど、そもそも商業的に規模の大きくないだろう農家の土地の歴史とを比べるのは違うのではという事を言われました。

以前、大学の講義で漁師が仕事の拠点として使う番屋の話を聞いたとき、憤りを感じました。堤防内や沿岸部に番屋を設けると津波被害を受けるから、番屋があってはならないのに、作業性を求めて、それだけではなくて立派な番屋を持つことがステータスになってしまうという話は、理解できませんでした。しかし考えてみると、船さえあれば、他の港湾施設や倉庫は公共施設として用意されるのですから仕事はできる、という事なのだろうと理解できるわけです。

ひとたび手放せば取り返すのが困難であったり、一度放棄したらもとに戻すのが大変な土地とは違うのでしょう。

私は東北地方には用事が無くて、個人的にも被災地は自分には関係ないやという思いがあって、あまり興味を持たなかったものでしたが、現地を見ると、なかなか思うところがありました。勿論、地震学の教授の手助けを得て思った事柄ですが。

やはり何事も、現地に足を踏み入れることは大切なのです。


アイキャッチ画像は撮影3日目の8月26日の撮影です。久々に、記事本文の画像とは違うものを入れてみました。


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