ウズベキスタン荒野鉄 ③ キジルクム砂漠

このたび、ウズベキスタン北西部、キジルクム砂漠の中にあるNavoiy州Balakarakというエリアで人生初となる「荒野鉄」を体験した。

(長い)まえおき

ロシアのヴォルゴグラードからタジキスタンのホジェンドを結ぶタジキスタン国鉄の列車で、ウズベキスタン領内を運転する列車が週に3本(2023年春の時点で日・月・木でそれぞれ、319Ж・359Ж・329Ж)が走っている。

この列車はカラカルパクスタン(共和国名だが、北西の国境近くにその名の駅がある)にてウズベキスタン領に入る。クングラドに停車した後、なぜか州都ヌクスもウルゲンチを通過。ブハラへ向かわず、進路を北東に向けてキジルクム砂漠の荒野へ向かい、ウチクドゥクを経由してナヴォイへ向か、変則的な経路を走る。

今回の旅で「荒野鉄」はキーワードのひとつだったので、いつ来るか分からない貨物列車に賭けるより、確実に砂漠地帯を走るこの列車は良い被写体の候補だった。そこで、列車を2月20日の月曜日に狙おうという話が出ていたが、天気予報や移動時間の都合があって、前回更新したように、20日はタメルランの奇岩で撮影となった。

21日はちょうどナヴォイ以北のエリアに良好な天気予報が出ており、絶好の撮影日和に思えた。定期列車の運転が無いとはいえ、次に述べるように、このエリアは貨物列車の運転には期待できるように思えた。


キジルクム砂漠、特にナヴォイ州は金やウランが採掘できることで知られていて、今回訪問したエリアには国営ナヴォイ鉱山精錬コンビナート(NMMC)の運営する露天鉱が点在している。意味のある情報ではないが、せっかくなので、少し説明を加えたい。

まず、Navoiyから北上する鉄道はUchquduqで終点となり、NMMCの露天鉱がある。

中ほどKyzylkudukから東に分岐した先にウズベキスタン最大の金鉱山であるムルンタウ鉱山、Daugyztau(OpenRailwayMapだとMustaqillik)の北側の露天鉱のほかにも、OpenRailwayMapに登録されていない分岐があり、別の新たな露天鉱へ向かっている。

また、Balakarakの集落の北側から北西へ分岐があり、これはリン鉱山へ向かっている。

これだけ豊富な露天鉱に加えて(恐らく数え間違えているが)KarakattaからUchquduq-2の直線距離130kmの間に10か所も交換設備があり、航空写真で数えると半数くらいの交換設備に列車の姿が確認でき、非常に活発な鉄道輸送が期待できる。


一方で、砂漠だからどこでも撮り放題ということはなく、道路と線路が接近している箇所があまり多くない。

ザラフシャンに1泊してKyzylkudukへアクセスすることも候補に挙がったが、最終的に、ナヴォイから往復可能で、かつ道路と線路が接近しているBalakarak~Karakattaへ向かうことに決めた。

これだけ露天鉱や工場施設の豊富な路線へ行くのだから、列車本数は期待できると思ったのだが…


2023年2月21日

ナヴォイに宿泊したことで撮影地まで約150kmとそう離れておらず、ホテルが朝食付きということで、やや遅い時間のスタート。

Balakarakの集落に到着したのは10時を過ぎたころであった。

航空写真を見ると360°どこでも撮影可能に見えて、光線状況に合わせていい感じに沿線を動けばよいだろうと考えていたが、ここで線路脇にひたすら電柱が立っている光景を目の当たりにすることになった。

編成写真というオプションが消えてしまったのは残念だが、Balakarak北側の線路が大きくクランクしている位置に高台があり、俯瞰撮影の候補地として考えていた場所があったので、そちらへ向かうことにした。

41.047241, 64.358418

集落の踏切で挨拶した保線員がこの先нет дорогиみたいなことを言っていた気がするが、航空写真を見れば分かるように、4輪車の踏み跡は明瞭で、高台のふもとまで車で乗り付けてこれる。

なかなか壮大な景色ではあるけど、決して前人未到とか言うわけではなく、羊が放牧されている土地である。そこら中にフンが落ちているし、遊牧民が乗って来たであろうバイクのタイヤ跡も残っていた。

本当に貨物列車はやってくるのだろうかと思いながら1時間ばかり待つと、遠くから貨物列車が姿を見せた。

この時点ですでに光線が良好とは言い難くなっていたので、信号所で長時間停車されたら困るなと思ったが、心配をよそに順調に直線距離を抜けてカーブに差し掛かる。

「地球最高レベルの俯瞰」

これはフォロワー様の言葉をそのまま拝借したものだが、じつに最適な言葉だと思った。

ちょうどナヴォイ方面が上り勾配になっているようで、UzTE16M3のユニットが黒煙を吹き出す様子がよく伺えた。いつ見ても豪快な黒煙である。

この列車をNavoiy方面へ戻りつつ追い掛けするという選択肢もあったが、最終的に追い掛け案は棄却され、光線がより良好なポジションへ移動することとして下山した。


一度下山して、線路の西側の高台へ移動することにした。

車から降りて身支度していると、バイクに乗った遊牧民の男性が偵察にやって来た。ソ連製のフレームと中国製のエンジンらしい。私が単身で来ていたら一切コミュニケーションが取れないところだったが、ロシア語の話せる同行者がいろいろと挨拶していたのを見て、もう少し外国語を勉強したいなあと少しだけ思った。

41.043993, 64.346177

移動直後こそ天気が良かったのだが、徐々に天気と視界が悪化してしまった。砂嵐というのは大袈裟で、おそらくはより適切な用語があるのだとは思うが、砂の粒子で太陽光が遮られていた。

Uchquduq方面へ向かう下り列車がやって来たのは移動から約3時間後であった。

遠くの視界と空模様はこの通りで、午前中の列車をNavoiy方面へ追い掛けするのが正解だったのかなとも思ってしまったが、砂っぽい様子もこれはこれで砂漠らしいのかなと留飲を下げている。

どうしようもない空模様だし、次の列車が来るとも思えないので、この撮影にて下山した。


こういうのは下山した途端に晴れてくるというのがジンクスのようなところがあるが、今回ばかりはそうもならず、Navoiyに向けて復路の運転を再開して、日没するまでこの天気のままだった。

復路はBalakarakから東へ進み、Navoiy方面の幹線道路と合流する交差点で検問を受けた。この時の比較的若い警察官はロシア語を話さなかった。ウズベキスタンでは独立後にロシア語教育をしていないようで、年代によってロシア語が通じるか、この警察官のように、ロシア語が通じないかが分かれる。

これが体感できたのは同行者の方がロシア語を多少話せたからで、私は会話を迫られたら翻訳アプリに頼る訳だから、このような発見を体感し得なかったと思う。

もっとも、今回はナヴォイ州とブハラ州の州境のあたりを境にUcellは圏外になってしまったので私が単身で撮影に向かったとしたら、遊牧民との会話も、警察官との会話も、かなり困ったことだと思う。

同行者のBeelineは撮影地でも使えていたので、事前に手配しておくことが強く推奨である。


冒頭に書いたように、ナヴォイからそう遠い場所ではなかったので、20時半くらいにはナヴォイのホテルGarden Houseへ戻ることができた。

スタッフが紹介してくれたレストラン(ホテルの道路挟んで北側の”Oboylar Dunyosi”建材屋として登録されてる建物2F)で夕食とした。

午前中の最高なカットが撮れた祝勝会だが、シャシリクとトマトのサラダとSarbastというバリエーションはここも同じであった。

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