ウズベキスタン荒野鉄 ② タメルランの奇岩

前回の記事では全く荒野要素を紹介できなかったが、今回からいよいよウズベキスタンの荒野に進出。

2月19日と20日の2日、タシケントとサマルカンドの間に位置するジザフという都市からほど近い歴史ある土地を訪れた。

歴史ある土地などと偉そうに書いたが、今回訪れるのはティムール朝の建国者ティムール(ペルシア語名のティムールをラテン語に転写してカタカタにすると、タメルランになる)が戦ったという歴史ある場所らしいということ以上の知識はない。

2023年2月19日

到着の翌日、7:10発Ходжикент行きリーチカの様子を伺いに日の出前に南駅の跨線橋へ向かう。

丸顔リーチカであれば25分離れたСалар駅と南駅の往復乗り鉄と考えていたが、もはや見慣れ過ぎた角顔リーチカが入っていたため、おとなしく宿へ戻った。

タシケントのバス・マルシュ・リーチカの情報は【TashTrans.uz】から見ることが出来る。近郊列車時刻表はタブの【Электрички】を選べばよい。

朝食後、チェックアウトして改めて宿を出発。レンタカーを借りるため、街の中心部へ向かった。レンタカーは中心部アミール・ティムール広場の北側、City Palace Hotel敷地内にある、rentcar.uzという地元ショップを利用した。結論だけ書くと、このレンタカー屋はイマイチだった。

M39 Tashkent-Samarkand道路でサマルカンド方面に出発した。

タシケントの南西60kmほどのChinozという都市のちょうど跨線橋を走っているとき、遠くに貨物列車が見えたので路肩に止めて撮影した。

VL80の3重連だが、新塗装のうえ、さすがに空模様とロケーションが良いわけではないので、あまり大興奮とはならず。手前の畑に作物が育っていたらまた違った雰囲気だったとは思うが。

もうVL80に大興奮しなくなってしまった…悲しいよ…

Sirdaryoの少し南のあるZiyokorという街の道路沿いにあった”Forish” kafeで昼食とした。

肉の串焼きがシャシリクというウズベキスタンの有名料理である。Google検索すると「ロシアやウクライナなど旧ソの人気料理」として紹介されているが、私はこれまでの旅行で食べたことがないので、今回が人生初シャシリクである。

旅行中はシャシリクが主食となっていたが、ここの店で食べた鶏肉のシャシリクがスパイスが効いていて一番旨かった気がする。


Sirdaryoからノンストップで南西へ進み、Jizzaxのさらに南西にある【The Tamerlane’s Gates】へ向かった。

岩山の写真を撮り損ねてしまったので、写真は同行した露水氏のツイートをご覧ください。

登る際は真正面に見えている部分(北西の斜面)を直登すれば大丈夫だが、下山は南側の斜面が降りやすい。また、棘が鋭利な植物が斜面の全域に生えているので、厚手のズボンが必須。

直登して稜線まで出ると明瞭な踏み跡があるので、岩の先端部までは容易。


3ES5K-1005 (17:31)

山頂に着いて15分ほどすると、3ES5Kの牽引する石油貨物が通過した。2020年の8月に納入された、3ES5Kの最新個体のようだ。

New Class 3ES5K Locomotives For Uzbekistan

見ての通り逆光であるし、雲と砂が複合したようなもので太陽光が遮られ「ギラリ」というのも難しいような光線だったので、モノクロ写真でお茶を濁すことはご容赦頂きたい。

Afrosiyob (17:43)

スペインや他国のTalgoを見たことがない(ロシアのTalgo客車を使ったStrizhも残念ながら見たことがない)ので、人生初のTalgo撮影がウズベキスタンの荒野になるとはさすがに思わなかった。


太陽がログアウトしたので、下山してサマルカンドへ向かった。

サマルカンド在住のスタン系男子様(@jv_samarkand19)のご案内で現地のシャシリク居酒屋へ。

ここで提供されるのは地元の醸造所直送のビールらしい。ビールが苦手で滅多に飲まないので味も良く分からないが、ロシアで飲んだバルチカの次くらいに飲みやすかった気がする。


2023年2月20日

日の出前に宿を出て、再び岩山へ向かった。ハンドルを握っているのが私。

3ES5K (8:32)

前日にロケハンしたお陰で、苦労せずに山頂へ。早速やって来たのは3ES5Kの貨物列車。

若干 もや が出て、光線も柔らかい朝らしいカットに満足。

3ES5K (8:45)

間を開けずに、再び3ES5Kの貨物。機関車寄りにホッパー車を連ねていて、こちらも編成が綺麗。

760Ф Afrosiyob (9:34)

2本目の3ES5K貨物のあと、9:02頃に下り762Ф Afrosiyobが通過しているが、編成の短いAfrosiyobをこの撮影地で素敵に撮るには私は完全に力不足。結局、縦構図で誤魔化すしかなかった。

なお、タシケント→JizzakhはAfrosiyobで所要約1時間半。そうなると、朝1本面の下り780Ф Afrosiyob(8時半頃に通過しているはず)を撮れていてもおかしくないと思うが、撮れていない。

この写真で右下に大きく見えている岩陰が曲者で、2月だと太陽高度が低いため、なかなか抜けきらない。結局、11時頃まで影が線路に被っていたので、この撮影地を訪問するならば、もう少し遅い時期が良いのかなと思う。

O’Z-Y
003Ф “Nasaf” Karshi→Tashkent(10:25)

座席急行の”Sharak”と”Nasaf”はソ連式のよれよれ塗装ではなくて、綺麗に整った編成で走っている。機関車に書かれたOʻzbekistonの文字も誇らしいで非常にポイントが高い。

記事の上のほうにツイートのリンクが張られている、露水さん撮影の011Ф《SHARK》Bukhara – Tashkentはこの列車の1本前で9:54に通過。こちらのほうが編成が長かった。

VL80 (11:03)

003Фに続いて770Ф Afrosiyobを見送ったあとになって、ようやくVL80が姿を見せた。

残念ながら見ての通りの塗装ではあるが、前日とは打って変わってロケーションが良いので、壮観。石油タンクの塗装がバラバラで全体的にカラフルな編成だから、鮮やかな新塗装で結果オーライだったのでは、という気すらしてくる(調子が良すぎる)

本当なら山の上の青空も入れた余裕のあるカットを撮りたかったが、うっかり、編成にズームインしてしまった。こちらは大反省である。

3ЭС5К (11:51)

11時頃にようやく岩陰が抜けた一方、徐々に空のモヤモヤが増してきた。おまけに列車もさっぱり来なくなってしまって肝を冷やしているところ、ようやく上り貨物がやって来た。

なんだか積載が良くないなという気がするが(目立つ黄色のタンクに劇物でも積んでいて、その前後が控車だろうか)岩の手前まで編成を引いたカットを手に出来た。これで思惑を達成ということで、満足とする。


その後、14時頃まで粘ったが、列車はピタリと来なくなってしまった。この日はサマルカンドより更に西に位置するNavoiyまで移動するため、長距離の運転が待っていたし、空のモヤモヤも厳しくなってきたため、下山とした。

撤収すると列車がやってくるジンクスはやはり実在するもので、車を走らせてしばらくすると、対岸に3ЭС5К牽引の上り貨物が走る姿を目にしたのである。

しかし、3ЭС5К-903と904を入れて計7両しか導入されていない機関車を半日で4両も見るのだから、この区間に集中的に投入しているのかなあという気がする。3ES5KとVL80では速度がまるで違った(勿論VL80が遅い)ので、峠越えでおまけにアフロシヨブと線路を共有している区間へ意図的に新型機を入れている可能性はあると思う。


撮影地から10kmほど離れたGallaorolという街のドライブインで遅めの昼食。

このエリア(ジザフ州)では、通常のサモサの数倍のサイズがある巨大サモサが有名(?)らしい。肉肉しい中身はともかくとして、生地の味が単調すぎるのでこの巨大サモサはもういいかなという感じ。普通サイズのサモサなら食べ飽きることも無いと思うが、滞在中にここ以外でサモサを口にすることは無かったので、比べようがないが。

時刻表を作成している露水氏の現地調査でカッタクルガンの街に寄る。

立派な駅舎だが、ここに旅客列車は来ないらしい。現地調査の結果が反映されている(と思う)中央アジア時刻表2023年版も4月に出るようなので、是非買ってください。

この日は日没後、20時前にようやくNavoiyの宿に投宿。ウズベキスタンは道路事情が悪すぎて本当に運転が大変。

次回はウズベキスタン「地球最高レベルの俯瞰」をご紹介。


「ウズベキスタン荒野鉄 ② タメルランの奇岩」への2件のフィードバック

    1. Sorry for the late approval of the comment.
      I checked your flicker posts! To my surprise, I also visited Almalyk GMK a few days after my visit to Jizzax. Thank you for sharing!

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