こんにちは
久々の更新になります。
管理人はいつも通り、バイト(と学業で)忙しかった訳ですが、日本郵船歴史博物館と氷川丸に行ってきたという友人に触発され、自分も成人式の日の午後、バイト帰りに数年ぶりに山下公園に行ってきました。
本当は記事の公開が遅くなる予定だったのですが、また別の友人に写真が見たいといわれたので、忘れないうちに記事を書いておきます。
写真は、クリックでフルスクリーン表示できます。
というわけで元町繁華街駅から氷川丸へ
本当に、何年ぶりだろうというくらい久々に来ました。管理人が最後に来たのは広州に行く以前だと思いますが、何も変わっていませんね。
生憎、塗装の塗りなおしを行っていましたが、これも頻繁に見れるものではないので別に良かったかと。
氷川丸現役時代の簡単なお色直しもこのように洋上で行っていたのでしょうか
氷川神社の紋章?というのでしょうか
外国人も乗船する客船なので、宗教色が強く出ないよう配慮された結果、手スリのデザインの一部になったと氷川丸とその歴史について書かれた本に載っていました。
これも近年に作り直された表示なのか、気になります。
ここは操舵室に上がる階段ですが、現役時代はここは普通に上れたのですかね
操舵室や船長室に安易に近づけるのは防犯上どうなんだろうと・・・
なんて思いましたが、そもそも積荷に直ぐにアクセスできるのが氷川丸の甲板でした
期間限定で公開されていた後部デッキ
ここは元々緑色に塗装された木製甲板であるという記述も見かけますが、そもそもここには荷積み用のハッチが二個とそれにはさまれる形で構造物が付いていたので今とは全く違う形であるのは確かです
この写真だととてもスッキリしたデッキですが、上に書いた理由以外にも、デリック式クレーンのアームが足りていないので、更にスッキリとした外見となっています。
外装塗装中なのでブルーシートが・・・
エンジン室に採光窓があるのは初めて知りました。
三階建て・・・かな
マリンタワーが所有していた時はエンジン室内で効果音が流れており、子供心に怖かった記憶があるのですが、誤った記憶でしたかね
記事を書いているときに見つけた良いサイトがあったのでリンクです。
氷川丸の歴史については病院船についてのみじっくり読んできました。後部デッキの配置なども見て取れますね。
さて、ここで一旦氷川丸を離れ、ライトアップされる頃に戻ってきます。
氷川丸から日本郵船歴史博物館に行くのですが、途中、風に乗ったカモメを撮りたくなったので少し撮ってみました。
人に慣れているのか、逃げないのですね。
日本郵船歴史博物館は撮影禁止なので、どこに言っても撮影を楽しみにしてる個人的にはあまり楽しめませんでしたが、主に明治初期の歴史については興味深かったところです。
で、赤レンガ倉庫の周りをプラプラ歩いていたら海上保安庁の巡視船が泊まっていたので撮ってみます。
左奥にまた別の巡視船が停泊していますが、この裏に違法操業を行っていた中国漁船が泊めてあったと友人情報
シーバスで横浜方面に乗ると見えるそうです。
飛鳥II
飛鳥と飛鳥II、客船に疎い自分からすると、瓜二つなのですが、サイズをみると飛鳥より飛鳥IIが40m以上大きいのです。模型だと、ほんの数ミリの差で雰囲気は簡単に変わります。40mも差があるのに雰囲気を似せるのにデザイナーは凄いと思います。
で、まだ外が明るいしライトアップまで時間がある、暇だなと思ったらこんなものが。
こんなのが運よく(運悪く)吃水線の下でも貫けば巡視船言えど被害は甚大、怖いものです
個人的にこの資料館の見所I
カメラの都合で観音開きの船尾は収められませんでしたが、iPadでは撮っておきました。なんというか、よく考えらています。
個人的にこの資料館の見所II
14.5mm連装機関銃「ZPU-2」
全く知りませんでしたが、イカ漁の漁船に偽装できるそうです。
機銃痕とか
そんなこんなで日も暮れてきて、
五時ジャストに飛鳥IIが出航
綺麗です。
久々に、感動しました
で、飛鳥IIを見送ったところでこれから氷川丸に向かいます。
と、こんな感じでライトアップされていました。
期間限定でいいので、病院船時代のライトアップも行って欲しいなと。
でも、このライトアップも十分に美しいです。
最後に、一応鉄道ブログなので横浜まで乗った東京メトロ7000系も撮っておきました。
長い記事でしたが、これで終わりです。
記事を書くのに一時超えとは・・・
記憶も、記録も大切ですね。
ではでは。