香東欧遠征2019 ➂ ヌルスルタン・モスクワ

香東欧遠征という題でスタートした2019年夏の旅行記。この「香」はカザフスタンの漢字表記である香佐富斯坦から取っていました。

しかし、なんと、連載3回目にしてカザフスタン出国。それで良いのかという気は拭えませんが、カザフスタン・ステプノゴルスクは間違いなく今回の旅の重要な行先だったのです。

ステプノゴルスクから首都に戻った翌日は夕方のモスクワ行きの飛行機までフリーでしたので、黒川紀章の設計したことで知られている首都のエリアを見に行くことにしました。

先ず訪れたのは「バイテレク」と呼ばれるモニュメント兼展望台で、新首都アスタナの象徴的な建造物です。97mの塔の最上階には初代大統領ヌルスルタン・ナザルバエフの金メッキの手形があるそうでそれは気になりましたが、展望台には入っていません。

鉄道駅のアスタナ-1駅も黒川紀章が設計していますが、鉄道駅周辺は低層住宅の並ぶエリアでして、アスタナを紹介する写真で良く目にするこの「バイテレク」をはじめとした高層ビルの立ち並ぶエリアは街の東西にあります。管理人は駅方面のホテルに泊まったので、10系統のバスで13駅25分とかなり遠い印象。

空港は街の南に14キロほどの場所にあるので、宿泊する場所によってヌルスルタンの印象は大きく異なるのだと思います。到着日に運転手と揉めた、アスタナ・ヌルルィ・ジョル駅と空港を結ぶ鉄道が開通すれば話は違うと思いますが、連絡線の完成はまだ先が長そうな雰囲気でした。いつ開通するのでしょう。

大統領府前の広場に並ぶ建物の高さは左右で揃っているのが印象的。これが中国では風水的に左右の高さが揃っているのは御利益が良いとされているので好まれると聞いたことがあります。

計画都市ですから、単純に見栄えが良いというのも大きいように思えます。インターネットで検索すれば答えが出てくるのでしょうが、そんなことを言っているといつまでも記事が書き終えられないという都合があります。

付近で写真を撮っていたら銃を持った兵士に「ジャーナリスト?」と訊かれました。大統領府の前で一眼レフは怪しいだろうと、ミラーレスを使っていたのですがやはり怪しかったようです。もっとも、この辺りは観光地ですし、なにより管理人はただの観光客ですから「ツーリスト」と答えて、パスポートを見せるだけです。

大統領府の辺りから30分程歩いてカーン・シャティリーという「世界最大のテント」を見に来ました。中は百貨店です。面白い珍妙な小物でも手に入らないかと思いましたが、ブランド品や高級志向の店が多いのは非常に残念でした。

カザフスタンというと漠然と、砂漠の街というイメージもあるかなあと思いますが、街中は歩いている人はそこそこ見かけます。重たいカメラバッグを背負って30分歩くのは少しばかり疲れましたが、それでも8月頭の日本を歩くより快適です。街路樹も多いですし。


シェレメンチヴォ空港よりアエロエクスプレスでモスクワ・ベラルースキー駅に到着。到着が遅い時間だったので駅の真横のホテル・ベラルースカヤにチェックイン。

夜景やバルブ撮影など夜の街は魅力的な被写体ですが、昨年の旅では夜の街は出歩かずに過ごしました。モスクワは二度目の街ですし、なにより出歩いて不安を感じない街なのは分かっています。カメラを持って再び駅前へ戻り、思惑通りの写真を撮れて満足しました。夜景の素晴らしさかくありき。

翌朝、カーテンを開けると目の前にベラルースキー駅とモスクワシティの高層ビル群。なんと贅沢な景色。

前の晩に、フォロワー様から偶々同じホテルに泊まっているので朝食をご一緒しないかとお誘いされていました。海外の鉄道を趣味にされている方とお会いするのは初めてのことで、非常に良いものでした。午後の北京発第三列車の撮影に行く約束をして朝食会場を後にしました。

ヤロスラフスキー駅での待ち合わせの時間までしばらくあったので、モスクワの地下に潜ることにしました。昨年の旅行でも何枚か写真を撮っていましたが、あまり満足するものでは無かった為です。

まずはステンドグラスの魅力的な5号線ノヴォスロボツカヤ駅。

時間的な都合で5号線の駅を移動することにしました。次にプロスペクト・ミラ駅。

最後にコムソモーリスカヤ駅。

モスクワメトロの駅はこれだけに限らず、非常に魅力的な装飾が施された駅が多くありますが、広大な路線網、長距離歩かされる乗り換えや離れた位置にある出入口の配置とあって、すべてを回るには一日掛かるのは間違いなしです。


フォロワー様とヤロスラフスキー駅で合流。地下のスタローバヤで昼食もご一緒させて頂き、エレクトリーチカに乗ること25分程、近郊のタイニンスカヤ駅で下車。10分程歩いて線路脇の壁に設けられた穴(ドア?)から撮影地スポットへ入りました。

2019.08.12 Train #3 Beijing-Moscow Мытищи-Тайнинская

予想外の線路付け替え工事で直前まで走行線が不明、左横は保線車両と作業員、右後ろからはエレクトリーチカが迫ってくる緊張するシチュエーションでしたが、北京発 第3列車は愉快に手を振る鉄道員と共に通過したのでした。

前の週の水曜日に出発した列車は翌週月曜日にモスクワに到着しますから、週に一度のチャンス。管理人はロシアビザが欲しいという雑な理由でモスクワを経由する旅程を組んでいましたから、偶然の機会をものにできて満足。

私は夕方の夜行列車、フォロワー様は夜の夜行列車でしたから、ヤロスラフスキー駅でお別れ。再び、ひとり旅が再開されました。

その名の通り、キエフに向かう列車の発着するモスクワ・キエフスキー駅は非常にヨーロピアンはドームを備えた駅でした。ここからヴヌーコヴォ国際空港へ向かうアエロエクスプレスはスイス・シュタッドラー製のESh2「ユーラシア」。これも一層ヨーロピアンな雰囲気に寄与しています。

アエロエクスプレスに投入予定だったESh2「ユーラシア」はロシア鉄道の財政難により一部編成がグルジアとアゼルバイジャンに走っています。特にアゼルバイジャンは魅力的で是非訪問したい国です。

ヨーロピアンは駅と言っていますが、管理人の乗るキエフ行きの065М列車” Sodruzhestvo”は屋外に設けられたホームからの出発でした。

乗るのはわずか2度目ですが、前回が1週間も乗っていたのですっかりお馴染みのプラッツカルタ。今回も、線路と並行に設置されたベッドの下段を予約しました。

065M列車はモスクワからキエフを経由し、キシナウに向かう列車です。(沿ドニエストル共和国チラスポリを通過する列車なので乗車には注意が必要)

車掌から出発後ただちにウクライナの入国カードを渡されました。ただ、車掌は私がキエフで下車することをしきりに確認していたのでキシナウまで行く客とウクライナで降りる客では書類が違うかもしれません。そして、車掌に食堂車の可否を尋ねると無いとの悲しい事実が判明。

8時を過ぎた頃、モスクワ南西に260キロほど走行したスヒーニチ=グラヴニエ駅で30分の停車。

食堂車が無いとは知らずに、飲み物とスナック菓子だけで乗り込んだのでこの停車で食料調達を目論見ましたが、ホームに売店はおろか食料を売る人の姿は無く、おもちゃと食器売りが複数人居ました。おもちゃと食器売りは謎なチョイスに思えますが、食器買ってる人居るんですよね…

スヒーニチ=グラヴニエを出発した列車は深夜1時頃にロシアとウクライナの国旗を通過します。モスクワとキエフを結ぶ005Я列車は”ウクライナ”の愛称を冠す有名な特急ですが、あれは深夜の3時とかに叩き起こされる訳ですが、065列車ならかなり楽。

ウクライナの入国カードは無くさないようにすべきものですが、後の行程でモルドバから夜行バスで再びウクライナへ入国する際は入国カードの記入が無く、出国時のトラブルも無かったです。良く分らん運用ではあります。


ヌルスルタン、モスクワ、それにモスクワからキエフへの夜行列車を一つのエントリーに投稿するのは無理があるのではないか。そんな気がしなくもないですがひとつひとつエントリーを分けているといつまで経っても完成しない。そういう訳です。

次回の更新ではキエフの写真を紹介できればと思います。


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