土浦駐屯地観桜一般開放に行ってきた

こんにちは

先日更新した記事の最後に書いた通り、茨城県土浦市の土浦駐屯地観桜一般開放に行って来ました。まあそんな訳で、久々に「鉄分」の無い記事になりますがそれはご愛嬌と言う事で…

と言う事で、休日お出かけパスを利用して土浦へ参りましょう。

折角なので特急「ときわ」に乗車。ツイートの埋め込みの通り、本数の少ない上野駅「地平ホーム」から出発する列車に乗ります。そして結局この車両の乗客は六名ほどで発車。

上野駅は自宅から多少離れて居ますが、そこから更に特急で45分の旅、土浦駅に到着しました。

土浦駅からは関東鉄道バス「阿見中央公民館行き」に乗車し「武器学校前」で下車。運賃は300円でした。余談ですが、土浦駅西口バスターミナルは四月から改良工事を行うそうなので行く際はその事を頭の片隅に入れておくと良いかもしれませんね。

そしてバスを下車、徒歩一分程度で土浦駐屯地、土浦武器学校に到着です。住宅地と書きましたが、道路沿いに家が立ち並んでいてその奥にあると言ったイメージでしょうか。

会場が9時半でして、到着したのが9時少し前だったので三十分ほど待ち入場。既に5名程並んでいましたが早くに入れました。

IMG_6129

会場の配置はこのような感じになっています。このうち雄翔館は撮影禁止(撮影は可だけど公開は駄目なのかも)となっていました。

撮った写真は公開して行くというポリシーで更新しているつもりなので、写真枚数が多くなってしまっていますので、スライドショーのプラグインを導入です(`・ω・´)
早速、紹介して行きましょう。

先ずはアメリカ製のM59  155mmカノン砲M2とM115 203mm榴弾砲M2。双方とも第二次世界大戦時から使用されていた形式です。

M24 Chaffee、日本だとM24軽戦車という名称が主流ですね…。小さい車体に75mm砲を搭載した車両。朝鮮戦争ではソ連製車両に圧倒された模様、ですが小さな車体は小柄な日本人の体格と日本の地形に合っていた車両ですね。

映画Furyで主人公達の活躍する戦車がこのM4A3E8です。映

画の中や某戦車オンラインゲームでの見た目はあまり好きではなかったのですが、実物は全く悪くないですね、というか四角い防楯に全体的にシャープはフォルムが気に入りました。自衛隊カラーも似合っているのでしょう。

M36 Jackson。根本的に砲が違うとはいえ、M10 Wolverineとの違いがいまひとつ解らないのですが、砲塔と履帯がパッと見の違いでしょうか?

調べて居ないので詳しくは知りませんが、戦後に朝鮮戦争では日本を経由して投入されたとウィキに書いて合ったところをみると陸上自衛隊で運用された訳ではないのかもしれませんね。

LVT(A)5装軌式水陸両用車。水陸両用の装甲兵員輸送車がLVTと呼ばれ、そこに戦車や自走砲用の砲塔を搭載したものがLVT(A)と呼ばれるそうです。M8 75mm自走榴弾砲の砲塔辺りを流用したものと思いますが、どうなんでしょう。

M42ダスター自走高射機関砲。一応、このブログ記事を書くに当たってウィキ程度は読んでいるのですが、87式自走高射機関砲の制式化後も長らく機動対空兵器として使用されたとは驚きです。

60式自走106mm無反動砲。同軸の12.7mmスポットライフルで目標を射撃し命中すれば主砲を発砲、直ちに陣地転換というスマートではない運用ですが、いくら搭載されているM40 106mm無反動砲自体はまだ現役と言っても2008年まで運用されていたのですから驚きです。

60式自走81mm迫撃砲。名前の通り、上述の60式自走106mm無反動砲と同時期の車両でベースも同じ。

73式装甲車。この車両は試作車で、上に飛び出たターレットが特徴ということと思われます…戦車は自衛隊車両は好きですがミリタリーは詳しくないんですね…(汗

74式自走105mmりゅう弾砲。

近くに居たマニヤが「これは失敗作だ」と語っていましたが、開発された時期を考えても105mm榴弾砲は時代遅れかなと思います。実際調達を巡って紛叫した様ですし。個人的に、自走砲にも関わらず水上航行が可能というのは日本の地形に合っているかと思うのですが、長射程の榴弾砲で遠距離から砲撃すれば良くね?という理屈かなと思いますが。

75式130mm自走多連装ロケット弾発射機。

ソ連の「カチューシャ」を思い出しました。言うまでも無く命中精度等は違うのですが、高い瞬間火力を提供するという仕組みは同じですね。

75式自走155mmりゅう弾砲。

管理人が思っただけなので写真から伝わるか怪しいところですが、ドイツのマルダーIII対戦車自走砲(の戦闘室が後部にあるもの)っぽいなぁという印象。如何でしょう…

82式指揮通信車と96式装輪装甲車は写真が少ないのでまとめました。双方とも同じ小松製作所の車両で現役。また96式装輪装甲車には82式指揮通信車開発の経験が活かされて居るそうです。雰囲気似てますね。

87式砲側弾薬車。M110 203mm自走りゅう弾砲に必要な弾薬と要員の輸送用。下記の73式牽引車の発展形です。

管理人的にはこの車両や73式牽引車の様に後輪が接地している様子が。ティーガー重戦車みたいでカッコ良いです(あれは接地していない誘導輪があるのであくまでイメージの話ですが…)。

73式牽引車。

土浦武器学校の展示は時代と種別毎に並べられている気がしますが、ここから戦車が並びます。先ずは戦後第1世代戦車の61式戦車。

映画などで馴染みの車両ですが、管理人的には試作車両のうちSTA-2とされた車両に戦時中の四式中戦車を参考にしたトランスミッションが採用された辺りに浪漫を感じざるを得ません。

そして遂に戦後第2世代戦車の74式戦車。日本では初として上部転綸を廃し大きな下部転綸を採用した車両ですが、日本戦車に詳しくない海外ファンからはその低車高も相まってソ連戦車と間違われることがあるとかないとか…

管理人的は富士総合火力演習で見てからお気に入りの車両になりました。90式もカッコ良いけど74式のほうが日本「らしい」ですね。

戦後第3世代戦車の90式戦車。ここに来てついに世界標準に肩を並べ、ソ連戦車を凌駕する車両となります。高性能であることは日本に見合わない重量の車両となりましたが、北から侵略する赤軍を相手する為なら問題ないのですね。

世界的にも「重戦車」クラスの車両、勿論写真でしか見れませんがヤキマ演習場で疾走する姿が似合う気がします。

90式戦車回収車。

管理人がこういった作業用車両が割と好きなのですが、同世代のドイツ連邦軍、レオパルト2の回収戦車型であるBPz.3の方が素敵性能高いかと思うのですがどうでしょう。

戦車等展示のコーナーは90式戦車回収車で最後ですが、火砲展示場に帝国陸軍三式中戦車「チヌ」が展示されています。

靖国神社周遊館の「チハ」より状態は良好に見えいつか自走出来る日が来れば良いなと思います。晴れていればエンジンの写真も撮れたかなと思うのですが、生憎の天気だったので残念です。

上述のチヌの左右に展示されていた火砲類。45mm対戦車砲は兎も角他の赤軍火砲は(日本軍がソ連と戦闘した時期的に)鹵獲されたものとは思えませんが、どういった経緯で展示されているのか気になりますね。

155mm榴弾砲M1と105mm榴弾砲M2A1。

99式自走155mm榴弾砲(の試作車)。75式自走155mmりゅう弾砲の置き換えとして開発され、今でも現役、そして高い技術力をもつ車両です。大柄な車体ですが、90式戦車の下回りではなく89式装甲戦闘車の車体を流用しているところが意外に思えました。

IMG_6366

少し順番が前後してしまいましたが、火砲館では帝国陸軍の使用した野砲等が展示されていましたが、管理人的に「役に立つな」と思えたのは入り口左手のこちらのパネルでした。加農砲と榴弾砲は口径のサイズで区別されているようですが、弾道、弾丸の飛行距離でも区別できるのでしょうか。

IMG_6396

続いて広報資料館では武器学校らしく日本のみならず各国の小火器が展示されています(一部撮影禁止)。

こちらは九九式二〇粍二号機銃四型、零戦を始め様々な機体に使用された機銃ですね。弾倉が装着されていないので見慣れませんね。
IMG_6402

極初期の火縄銃(写真)や「坂本竜馬が使っていたのと同型の拳銃」も展示されていました。

管理人、一言も係りの方に話して掛けて居ないのですが幕末マニアに見えたのかな。

IMG_6408

こちらは定期的に公開されている九八式射爆照準器。戦闘機の模型に照準するのですが、設置場所がズレているので的の中央に来ません。シビアな調整を空戦中に行えるパイロットの腕前は尊敬します。

IMG_6409

九八式射爆照準器の付けられている風防を模したものは職員のお手製だそうです。

IMG_6410

95式射爆照準器は戦闘機用の目盛りになっていますね。

突き出るように設置された照準器は空中給油用のノズルと思っていた時期が管理人にもありました(苦笑

IMG_6418
IMG_6421
IMG_6423

別の部屋には不発弾処理についての展示や現在使われている砲弾の展示がありまし、この辺りは広報資料館らしさを感じました。また、角にひっそりと九一式縦舵機が置かれており、驚きました。旧日本軍の魚雷と言えば酸素魚雷が有名ですが、航空魚雷としてはこれが使用されたほぼ唯一の航空魚雷なんですね。

IMG_6503

と言ったところで展示品の写真を一通り紹介した感じになります。普段は見れない車両や装備品を間近で見る事が出来、とても楽しめました(特に早くから入場したので人も少なかったですし)。また、靖国神社の周遊館の展示もそうでしたが、雄翔館に展示された遺書や手紙などは読むたびに考えされられるものがあります。

そんな感じでですね、今回の記事の〆としようかな、と思います。

ではでは。

コメントを残す