シベリア鉄道・欧州遠征10 ラーボエ

いよいよ7月も終わりが近づき、管理人の2019年夏遠征も間近に迫っています。長いこと続けていたコンビニのアルバイトは辞めたので、撮影地の下調べをする時間も確保できるようになり、今年の旅行は撮り鉄趣味に全力を投じることが出来ればなあと思っている次第。

今回はハンブルクの北にある港町を訪問します。ハンブルクから列車で同じくらいの時間の場所に保存蒸気が走っていたはずですが、そちらは状況が良く分らないので確実に面白いものを見れそうな港町を訪れることにしたように思います。

9時16分発のICE1088号でKiel Hbfへ。

ハンブルクからキールへ向かう路線、IC(客レ)でもICEでもRE(近郊電車)でも所要時間がほぼ変わらないという区間でしたが、どうせユーレイルパスなのでICEご乗車。

All-focus

大抵は故障してggf. freigebenを表示してることで不名誉な予約区間の表示は機能しているとこの通りです。非常に便利。

キールからラーボエは路線バスで行く予定でしたが、フェリー航路があると日本人旅行者のブログに書いてあったのを発見。バスよりフェリーの方が面白いですからこちらに乗りたいですよね。

キールとラーボエを結ぶフェリーは”Fjord ferry route F1“という航路。このフェリーは例えば東京湾フェリーのようにA地点とB地点を結ぶのではなく、キールを出発すると9か所を経由してラーボエを目指します。聞きなれない単語ですが、ドイツ語でÖPNVと言い、地域の足を担う公共交通機関です。

地図を見れば分かりますが、キールは縦長の湾(キール峡湾)の最奥に位置しています(ラーボエは右岸北部)。フェリーは左岸と右岸を概ね交互に結んでいますから、なるほど、地域住民には需要があるのだろうなと納得です。

11時発のフェリー、ラーボエ到着は12時9分。運賃は失念しましたが、ウェブサイトによれば€3.6または€4.2。(州で定められた交通機関共通運賃らしいですが、復路に乗った路線バスは€5くらい払った気がするなあ…)

運賃はお安いので問題はないでしょうが、欧州の交通機関ということで切符はセルフ打刻式。こちらは忘れないようにしましょう。

地元の(?)学生集団と乗り合わせてしまったので騒がしい船内。昼頃の便ですしゆっくり船旅と思っていたので残念でしたが、学生を除いても乗客は結構多かったです。

管理人は旅の疲れと船酔いで途中から入眠…

途中から寝てたらラーボエ到着。結構フェリーから降りてくる人多いですね。

ラーボエの港から海軍記念碑まで少し離れていますが徒歩。海側はビーチ、道路沿いはレンタル別荘みたいなのが並んでいたので、キールの喧騒を離れて長期のバカンスを楽しむ避暑地といった感じでしょうか。

途中から異質な棟が見えてきます。

目的地のラーボエ海軍記念碑。記念碑と博物館への入場料、隣のUボートU-995の入場料と併せて窓口で支払いました。値段は失念。

重巡洋艦プリンツ・オイゲンのスクリュー、右奥に模型も置かれてます。模型を野外展示していてよく破損しないもんだなあと思いますが。

重巡洋艦プリンツ・オイゲンはご存知第二次世界大戦の軍艦ですから、このラーボエ海軍記念碑は第二次世界大戦後に建築された慰霊碑なのかと思いこんでいたのですが、これは大間違いで第一次世界大戦中に戦死した犠牲者を追悼するため、ユトランド沖海戦から20年目の1936年に完成しています。

インターネットを検索するとこの地での式典にヒトラーが参列している写真が出て来ますが、まあ感慨深いですね。戦後の破壊を免れ、80年ほど前と同じ景色を見れるというのは…

上の写真のちょうど背中側が博物館になっていますが、ラーボエ海軍記念碑やドイツ海軍の歴史、船舶模型の展示などです。

最奥の壁に1914年当時の各国の植民地勢力図を示した地図がありますが、まあひひどいことなってますよね。アフリカとか…

記念塔の入口は博物館の中ほどの階段から。

戦後、大戦で犠牲になった各国の水夫に捧げられているので地下空間には各国の旗が掲揚されています。異質な空間です。

博物館のパネルに、ナチス政権は(ユトランド沖海戦の追悼を)彼らのイデオロギーの為に利用したと批判的に書かれていますが、もともと第一次世界大戦のドイツ海軍の犠牲者を追悼する記念碑を各国の水夫の為に再び捧げるというのも個人的には、どうなんだかなあと思いますが。だってドイツ海軍のものなんでしょう、と思わんでも無いです。

そういう思いとは真反対の意見として、日本では戦争反対、戦争反対という言葉とは裏腹に日本人以外の戦死者に目を向けられることは無いですよね。平和の象徴、広島県産業奨励館なら此処のように世界各国の国旗を掲揚すべきだ、そう思ったりもしました。

最上部のデッキからの眺め。第一次世界大戦当時からこの眺めなんでしょうね。

記念碑内部は中空。無機質で不気味な感じです。

歴代のドイツ国旗が並んでいる空間がありました。左手前は東ドイツ人民海軍旗ですが、ドイツの東西統一は1990年、割と最近なんだなあと思いました。

ラーボエ海軍記念碑を出て、道路を渡った向かい側の潜水艦U-995へ。ラーボエ海軍記念碑も象徴的な物として見ておきたかったですが、こっちのがお目当て。

U-995そのものは1943年就役で戦後は1965年までノルウェー海軍で使われていた比較的新しいともいえる潜水艦ですが、原型は第一次世界大戦の潜水艦で全長もおよそ70mと小型です。でもまあ、ヘルシンキの潜水艦 「ヴェシッコ」 は全長40mだったからなあ。

いいものを見れて満足。

歩いて街に戻りました。マリーナに並ぶのがヨットってのが良いですね。ヨーロッパの港町って感じがして最高。

往路はキールからフェリーでしたが、復路にちょうど良い時間の便が無かったので路線バスで戻ります。Steinkampberg通りとHafenstraße通りの交差点にあるLaboe Hafen/Wendeschleife停留所から100系統のバスで45分です。

フェリーで寝るのは良いですが、バスで居眠りは怖いですね。

ICE 885号、ハンブルクへの帰りはICE4でした。

当日はホテルに戻ってコインランドリーに洗濯物を放り込みに行っていました。シャツや下着類は手洗いでエアコンの下に干しておけば翌日には乾きますが、ズボンはどうしてもコインランドリーに行かないといけませんね。強烈な洗剤の匂いが欧州って感じでした。

日没前後は積極的に出歩く気にもならず、ホテルに引きこもり。折角なので夕陽とか撮れそうなところ行っていればなと思いますが、別に治安も抜群では無かったしなあ。悩ましいところです。

今回はここまで。ではでは。


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