人生初の渡道 後編 道東への訪問

9月15日、新得~釧路、旭川~上川はH100系への置き換えが発表された。どうやらキハ40系の最期には間に合ったようだ。そして、この記事を書いている約1週間後には再び北海道の大地に足を運ぶ予定になっている。

モラトリアムを謳歌できた大学生時代に一度も足を運ぶことの無かった場所に、社会人になってから連続して訪れることになろうとは思わなかった。

2021.7.23

翌朝は早朝から宿を出て、有名撮影地の点在する音別へ向かった。

旅のお供は、前日夕方に帯広駅前で借りたハイエース。最初は無難なコンパクトカーを選んでいたら、キャンペーン価格だったので事前に変更した。

この区間は晴れていれば午前逆光の午後順光であるが、なにもバリバリの編成写真を狙うのではないから、融通は利く。もっとも、当日はこの通り生憎の天気。とはいえ、白い海霧は夏の道東らしい空模様であるのは間違いない。

パシクル湖をフレームに入れてみたが、曇りとはいえ気温の影響は拭えず悪い大気状態に加えて、数年来の遠距離の解像感の悪い持病を抱える150-600mm Sportsレンズは残念な結果になってしまった。こういう時はモノクロ写真に頼る。

足回りが大方隠れてしまったのも残念さに拍車をかける。やはり、夏の湿原は俯瞰に限るらしい。

続けて移動したのは上厚内信号所。同じ日の写真かと疑いたくなるが、同じ日の写真だ。

連休にも関わらず増結が無かったは非常に残念ではあったが、283系気動車の良い写真を収めることが出来た。283系気動車を撮影したのは今回の旅行でこの一枚が唯一になった。

9月15日の発表で、 283系気動車も閑散期の5→4両への減車と2022年春に261系気動車への置き換えが発表された。冬に無理して訪問すれば増結を…ひょっとすればこれが最初で最後の編成写真になるかもしれない。

この日の運用予定は国鉄色の重連であったが、運用変更でタラコ色が先頭になってしまった。もっとも、国鉄色を撮りに来たのではなくキハ40を撮りに来たので、その場では特に何とも思わなかったが、改めてブログを書いていると非常に惜しいことだ。

2016年に(恥を忍んでリンクを貼る)芸備線で撮影した以来のタラコ色のキハ40でとても懐かしい。

正直、この手の構図はあまり好みではないが、2両目の国鉄色もその存在がしっかりと確認できる結果に仕上がったので、これはこれで満足ではある。

音別、上厚内信号所、豊頃と沿線を右往左往しているが、再び音別方面に進み、釧路本線へとやってきた。

サルルン展望台から塘路湖を背後に走る単行のキハ54である。


釧路に来たからにはもうひとつ拝みたいものがあった。太平洋石炭販売輸送臨港線の車両である。

太平洋石炭販売輸送臨港線は2019年まで走っていた路線で存在は知っていたが、如何せん北海道は遠い場所だと思っていたので(事実そうであるが)動いている間に足を運ぶことが出来なかった。

空地に足を踏み入れると、すぐにでも動かせそうな状態で、4台の機関車とホッパー車が並んでいる。

(これらの車両は、現在は運営母体の新太平洋商事が所有しているが、この空地は問い合わせたという人のSNS上の書き込みによると立ち入り禁止ではないとされていて、事実、立ち入り禁止の表示は見当たらない)

是非一度は姿を拝みたかったのが、中ほどに挟まれているDE601である。

エンドキャブの車両がそもそも日本では珍しいのだが、それ以上に物珍しい要素がある。

この車両、DE601号機はゼネラルエレクトリックの輸出用機関車U10Bのノックダウン生産である。

フィリピン国鉄に譲渡された203系を牽引していたディーゼル機関車がU10Bで(検索するとセミセンターキャブの機関車の写真の方が多いが)、管理人が大学に入って、海外の鉄道に興味を持った流れで、DE601号機の存在を知ったのだと思う。

あとは、昆河線のメーターゲージの東方紅っぽさもある。良く見ると全然似てないけど、ヘッドライトは似ているかもしれない。兎も角、そういう具合で現物を見たかった機関車が残っているうちに見れて非常に嬉しかった。

シャトルトレインの文字もよく似合う。

後ろに繋がっている機関車のD401号機も面白くて、DD13と同規模でエンジンも同型らしいが、ロッド式の足回りを備えている。

日本に現存している数少ないロッド式のディーゼルのなかでも状態が抜群に良い一両だと思う。

ところで秩父三輪の山の中に(恐らく今でも)放置されている汽車会社のセミセンターキャブ、あれは長いことトンネルに押し込まれているから、塗装さえ直せば状態は悪くないだろうし、是非とも復活させてほしいとは思うが、写真すら少ないのが残念である。

運営母体はこれらの車両を産業遺産として観光などに活用することを目指しているらしい。いつか、また線路を走る姿を見れる日が来ることを願ってやまない。

ちなみに遠くに見えている煙突は(閉鎖された)王子製紙の煙突ではなく、釧路熱供給公社の煙突のようである。

釧路から再び西へハイエースを走らせて、夕方の音別俯瞰を狙う…朝こそ霧が出ていたが、日中は晴れていたのだ。気をよくして車を帯広方面に向けて走ると、どんどんと空模様は悪化。音別俯瞰着いた頃にはこの様子で大轟沈。

音別俯瞰で特急おおぞらを撮影予定だったが、曇り空で撮ってもナァと切り替えて尺別信号所向かった。本当は信号所を俯瞰したかったが、下調べしていなかったので時間切れ。

結局、特急おおぞらは鹿ヒットで遅延。キハ40 1741は交代することなく出発して行った。北海道旅行3日目終了。


4日目の朝を迎えて、我々はまだ行き先を決めていなかった。

ともかくホテルをチェックアウトし、レンタカーの車内でスマートフォンを片手に相談の結果、富良野から美瑛へドライブを決た。

2021.7.24

全く予定外の狩勝峠越えとなった。峠と言えば、車から降りて山の涼しい風に当たれる…というワケでもなく、なかなか暑かったと記憶している。

狩勝峠を越えた後は落合駅に寄り道をしつつ(こちらは、諸般の事情写真は非掲載とするが)富良野へ向かった。

富良野と言えば、特に管理人が訪問したのはラベンダーが咲いている時期だが、下調べというほど調べたわけでもなく、列車の本数が多いわけでも、それに帯広に戻らなくてはいけないという事情から、安直に「赤い屋根のある丘」へ向かった。

結果は御覧の通り。連休中日の土曜日という事もあってか他に撮影者はいたが、どうにも空の霞が強い。 もっと涼しい時期に来るべき場所だろう。

構図としては、このような縦構図を考えていたのだが、ちょうど左側の車両を隠している位置の木々がインターネットで見かけた作例よりだいぶ成長している。

そういう訳なので、列車全体を入れようとすると、家と距離が開いてしまうので、間延びした写真とならざるを得ないようだ。

富良野駅へ戻り、発車前の富良野・美瑛ノロッコ号の見物に行く。ノロッコ号の牽引機はDE15である。DE15の特徴と言えば、ラッセルヘッドの取り付け部。残念なことに記録写真を忘れてしまった。東日本には残っていないだけに、塗装には目をつぶっても実に勿体ないことである。

キハ261系気動車ということで、今の北海道ならどこにでもいそうな車両であるが、実は1本だけの編成で、定期運用も持たないらしい。そもそも運転開始が約3カ月前と、レア物だった。

このブログには良く書いているが、管理人は鮮やかな車両は良いと思っている。 ラベンダー編成 、なかなか素敵である。

同じく富良野駅。側線に留置されているキハ40。低いホームに無造作に置かれた自転車、そこら辺に干された雑巾、これはミャンマーに違いないと同行者と大盛り上がり。

決してSNS映えする写真でも、記録写真として価値がある訳でもないが、なかなか良い風景が見れたのではないだろうかと思う。

浅田次郎「鉄道員」を原作とした映画のロケ地の幾寅駅、もとい、幌舞駅。

「鉄道員」も良い話だが、管理人は「角筈にて」を推したい。是非とも手に取って欲しい。

2016年の台風10号から富良野駅 – 音別駅間が不通となり、列車は来ない。


寄り道しているとあまり時間に余裕がなくなってきたので、急ぎ帯広駅へ戻る。帯広駅から15時25分発の特急「おおぞら8号」で17時半ころ南千歳駅到着。乗り換えて新千歳空港へ。

SNSで見聞きしていたが、巨大物産展会場のような新千歳空港で買い物を楽しむ…と言いたかったが、19時頃には多くの店(特に飲食物を扱う店)が閉店していたのは残念だったが、洒落た雑貨屋で鉄道要素のあるポットカードを手に入れた。北海道らしい甘いスイーツ類が食べたかったが、これは次の機会だろう。

南千歳駅で半額で売られていたホタテ弁当を食べつつ、AirDo 038便で東京羽田に戻ったのは22時40分であった。


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