宗谷ラッセルと根室本線キハ40 後編

宗谷ラッセルと根室本線キハ40後編。

この旅の後半では、バス転換が予定されている根室本線の富良野~新得間のキハ40を中心に撮影した。

2月11日は夕方に中愛別で撮影後、そのまま富良野で投宿する予定だったが、、金曜夜ということもあってか安宿が取れなかった。旭川の永山駅近くのビジネスホテルに投宿。

翌日、根室本線始発の2474Dは東鹿越発6時36分なので、4時前には宿を出発した。あまりの睡魔に途中で仮眠を挟みつつ、無事に90kmほど運転し(下道なので、思ったより長く感じました)、空知川に架かる金山鉄橋へ到着。

2022.2.12 2474D キハ40 1722

この日は宗谷ラッセルが運休だったので、驚くほど大量のファンが集まっていた。幸いにして撮影地のキャパシティは広いため、通過5分くらい前の到着でしたが無事に立ち位置を確保できた。

正確な数字は忘れたが、スマートフォンの天気アプリでは気温は-15℃とか表示されていたと思う。樹霜で白く色づいた風景の中を走るキハ40を仕留めることができた。

2022.2.12 2471D キハ40 1727

芦別岳をバックに撮影できる有名撮影地へ移動した。

根室本線は2022年春のダイヤ改正でこの撮影地を最も良好なコンディションで撮影出来る列車が消滅してしまったため、朝のこの列車か、午後の列車を後追い撮影の実質2択となっている。もう一週間遅ければ、線路まで光線が回るかもしれない。

この区間でも新雪は無く、すっきりとした様子のキハ40だったが、これはこれで冬の寒さは良く伝わるのではと感じる。

2022.2.12 2478D キハ40 1727

来た道を戻り、金山ダムの天端の有名撮影地へやってきた。

芦別岳は綺麗に見えていたが、やはり雪が少ないので、やや物足りない気分になった。白いキハ40には木々が緑の季節のほうが似合うかもしれない。

この記事を書いている今はちょうどラベンダーの季節で、紫色の絨毯の上を走るようなヨンマルを撮影出来る構図にファンが集まっているらしい。


午後は石北本線へ転戦することは決めていたが、だいぶ時間がある。

折角なので美瑛の辺りで雪景色の風景写真でも狙うかと思ったが、風光明媚な場所は大抵は農道を通行するため、どの場所なら冬季でも立ち入れるのか良く分からない。

雰囲気の良い踏切がちょうど近くにあることが判明したので、ひとまずは富良野線の列車を待つこととした。綺麗なSカーブがワンフレームに収まり、なかなか良い雰囲気でしょう。

ちょうど旭川空港の近くまで来ていたので、有名なお立ち台へ足を運んだ。

「旭川空港展望スペース」としてMapに登録されているが、別に展望台があるわけではないので、脚立必須でしょう。

このお立ち台のカットが着陸機の構図だと知らず(考えれば当然なのですが)着陸機を撮り逃してしまったが、すぐに2機続けて離陸するスケジュールとなっているので、急ぎ空港北側へ移動し、それなりに満足したカットを得られた。便数の少ない旭川空港に狙ってくることもないと思うので、これは良い機会だっただろう。

空港からほど近い「旭川ラーメン こぐまグループ 東神楽店」で豚丼を頼んで遅い昼食とした。豚丼を頼むとやや怪訝そうな顔をされた気もするが、非常に美味しかった。


遅い昼食後、愛別-伊香牛の直線構図の撮影地へ移動した。ストリートビューの撮影後に防風林が伐採されたようで、記憶も曖昧で心もとないが、43.883904, 142.528424の踏切だと思う。

手押しの除雪機吹き飛ばしている雪が綺麗だった。

2022.2.12 石北ラッセル 雪551

ラッセルヘッドは石北本線で主に使用される複線型のほうが好みだ。

直線構図のラッセルの写真というのも一枚くらい持っていても、バチは当たらないかもしれない。

2022.2.12 6084D 特急「大雪4号」

愛別駅でラッセルと交代した特急「大雪4号」がやって来た。

183系DMUは初めて北海道を訪問した夜の札幌駅で回送列車を目にして、ちゃんと編成を撮りたいなあと思っていたのがようやく叶った。

しかしこのDMUも今年度引退ということで、秋に撮れるか、それとも来年の同じ時期に、最後にお目に掛かれるか、と言ったところだろうか。

2022.2.12 6064D 特急「サロベツ4号」

大雪4号の撮影後、急ぎ足で宗谷本線の比布駅へ向かい、特急「サロベツ4号」を撮影した。

本当は編成写真を撮りたかったが、良い場所も思い浮かばなかったので、駅の跨線橋からの撮影となった。

ところで比布駅は「ピピカフェ比布駅」というのが併設されているのだが、地元の食材を使った土産なども買えるので、撮影の際には是非とも売上に貢献したいところである。

比布駅の跨線橋から稜線に沈みつつある太陽を眺めて、北海道3日目が終了となった。

帰宅後にインターネットを眺めていると、たまたま同じ日に、同じ行程で撮影している趣味者の写真を見かけた。根室本線の2478Dを金山ダムで撮影後は、富良野や旭川空港で油を売らず、石勝線占冠駅へ転戦し、283系DMUを撮影するのが正解だったようだ。

まあそもそも、この日はどこそこへ行くべきだった、というのは後にならないと分からない話なので、仕方ない。

土曜の夜だったが、富良野のスキー場にほど近い「ペンション 列車ハウス」を予約することができた。口コミ通り、宿のご主人は大声で呼ばないと窓口に出てこないが、他は部屋もきれいだし、暖房も暖かいし、浴場も普通で、値段と立地の割りに良かった。

車を出すのも面倒だし、夜まで営業している食事処があるか心配になったが、ペンションの近くで無事に夕食を頂くことができた。


翌日も根室本線へ向かうために暗闇の中出発。轍すらない道路を進んだ。

2022.2.13 富良野→東鹿越 回2474D キハ40

少し冒険した構図で撮影を試みた。

踏切も何もない撮影地だが、ブザーのような警告音が鳴り響くので撮り逃す心配はない。

2022.2.13 2474D キハ40

この日は、私ともう一人の趣味者の2名だけでの撮影となった。やはり前日は宗谷ラッセルが運休だったので、全ての鉄が集結していたのだろう。

もう一人の趣味者の方は帯広のほうから来ているということだったが、ギャンブル要素の高いラッセルは撮らずに、ヨンマルばかり撮影しているということだった。私も、その方が楽しめると感じている。

この日は気温は0℃前後で、多量の積雪があった。木々の雰囲気としては樹氷があるほうが好ましいが、列車の全面にたっぷりと雪が付着しているほうが冬の北海道らしいという気もする。望ましいのは深夜に積雪があり、早朝は急激に気温が下がることか。一筋縄ではいかない。

2022.2.13 2471D キハ40 1736

もやは芦別岳の姿は見えない。

ラッセルよりも激しく雪を跳ねるヨンマルを目に焼き付けて、満足した。


金山ダムへは向かわず、峠を越えて幾寅駅へ向かった。雪の降る風景は、まさに映画の世界の幌舞駅のようだった。

もう長い事列車の来ない幾寅駅だが、そう遠くない将来にバス転換され、正式に列車の来ない駅となってしまうのは実に悲しい事である。観光地化されているこの駅の風景はバス転換後も大きく変わらないのかもしれないが、まだ「現役」であるうちに見ておきたいと思った。


2022.2.12 2478D キハ40 1736

有名なカラマツを背景にした撮影地へやって来た。

ここは少し構図をミスしてしまい、余裕のない写真になってしまった。連写しながら列車を追おうと、欲を出したのは良くなかった。冷静に考えると、大半の区間は太いケーブルが目立つので、ケーブルを交わせるポイントは限られている。

2478Dを追いかけて、野花南駅へ向かった。

この駅は木材の積込設備のようなものが残っていて、キハ40ともに撮影したいと思った。どうもこの辺りは林業が栄え、炭鉱もあり、ダムも建設され、栄えていたようだ。その名残のひとつである。

これにて、2022年2月の北海道訪問最後の撮影となった。

それにしても、キハ40はどこを撮影しても絵になる。やはりラッセルより良いんじゃないだろうか…とはいえ、この日の宗谷ラッセルは全ての有名撮影地で補助翼を広げ、フランジャーを下したようで、癪だと言えば癪である。


ところで、カラマツ撮影地から野花南駅の移動中の高規格な国道を快走中、足回りから異音がしてきた。

どうやら、タイヤハウスに付着した氷が限界に達したらしい。折り畳み式の除雪スコップ(先端が金属)は持参していたが、まるで歯が立たない。ゴムハンマーは現地調達しておくべきだった。あと、サングラスは必須だと思った。

旭川空港への道はなぜか富良野市の東側を迂回する起伏の激しい道道を案内され、まあ雪道の運転も慣れたなあなどと思っていると、なんてことない左折で、しかも左折直後に盛大に半回転して大いに焦った。

味を占めて「旭川ラーメン こぐまグループ 美瑛店」で豚丼を注文したが、こちらは非常に微妙だった。

異様に愛想の悪い店員のレンタカー屋で車を返却し、昼過の飛行機で羽田へと戻った。AirDoの「ロコンジェット北海道」だが、勝手に「モヒカン」と呼んでいる。ANAの旧塗装がモヒカンならこれがモヒカンでも良いだろうと思うのだが、趣味仲間にはどうも通じないらしい。


以上が初めて足を運んだ冬の北海道である。大雪で旭川行きの特急が運休しなければ…2月13日の宗谷ラッセルを撮影できていれば…と思うことはあるが、北の大地は簡単ではない。

実のところ、今年こそ海外に戻ろうと考えているので、秋の北海道を訪問できるかは分からない。281系DMUの撮影は間に合わないと思う。ただ、183系DMUの引退までにもう一度は北海道を訪問したいと願うところである。

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